歴史修正主義/リベラリズム/ポストモダニズム

crow_henmi

あずまん南京関連で張っとく>ttp://d.hatena.ne.jp/meta_funny/20081202 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034173922

crow_henmi

@ mine_o 俺はあれを読んでもにょった。リベラルがそれ自体としてありうるのはリベラルというスキームの中でしかなく、なんでも自由というホッブス的闘争の世界ではないと思うんだけど。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034196956

mine_o

@ crow_henmi そもそもリベラルの論理にそれ自体に内在的にそういうリベラルが嫌いなやつに対しても寛容たるべきかという問題があるわけですね。だからそれはリベラルからの逸脱ではなくリベラルの「徹底」ともいえて、そっからどうしよってはなしでホッブズ的状況と違うんでは http://twitter.com/mine_o/status/1034214647

crow_henmi

@ mine_o まあどんな言説も自分の足場を崩すようなことはできない、という意味で、現代のリベラリズム論理実証主義とか反証可能性とかそういうものを背景に、その枠内での「自由」を認めているのだと思っていて、その意味であずまんは枠組から逸脱してるかな。そこがポモとは云えるかも。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034218553

crow_henmi

@ mine_o あと、明らかに反リベラル言説についてはリベラルは受け入れられないという前提もあって、あずまんはその手の人間に今回妥協的すぎる態度を取ったんじゃないかって話。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034221471

mine_o

@ crow_henmi つまりリベラルの足場が崩れる地点が見えた時に、それだともちろんまずいんで、リベラルを武力で広めようとか、最低限のゆるいルールを決めてそれをまもらせようとか色々あるわけだけど、まああずまんはまた別のやりかたを示したいのかなと。それは逸脱ともいえるかもしれない http://twitter.com/mine_o/status/1034224654

crow_henmi

@ mine_o あとあずまんの根拠にしたデリダ云うところの「われわれは歴史の痕跡にたどり着いても歴史そのものという外部にはたどり着けない」みたいな云いは、アガンベン辺りで批判されていたとhokusyu氏に聞いた。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034224968

mine_o

とはいえあそこまで排斥されるべきレベルとは思えない http://twitter.com/mine_o/status/1034225251

crow_henmi

@ mine_o ただまあそこで実感主義とか持ち出されても困るじゃん、とか。ボードリヤールくらいバット振り切るなら別だけど。「湾岸戦争は存在しなかった」って奴ね。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034227341

crow_henmi

@ mine_o 歴史修正主義者に大きく門戸を開いてる発言なんで、その辺でバトルしている人には当然叩かれるんじゃないかな。実際のところは、「東浩紀って誰?」レベルの大衆が社会や歴史を動かしているので、コップの中の嵐といえるかもだけど。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034231421

mine_o

@ crow_henmi あずまんもあずまんで振り切ってない?wwあの付録は振りすぎ!とか思ったよ。僕の読みではあれは実感主義の主張ではなくネットで政治活動してる連中への皮肉だと思うんだが、いきなりアレを見たらまあそう思われても仕方ないだろうな。 http://twitter.com/mine_o/status/1034232353

crow_henmi

@ naoya_fujita リベラルが自壊しないための枠組を自壊させてもあずまん的にもリベラル的にも得るものはひとつもないと思うんだけどなあ。リベラル的枠組がなくなった自由はリベラルといわないので。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034236992

crow_henmi

@ mine_o 実感主義云々は本人のblogの弁解で書いてたことだけどね。あれはお粗末だったね。なんでそんなもんで歴史性を評価しなければならんの。みたいな。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034238983

naoya_fujita

@ crow_henmi リベラルの枠組みなんかもう破壊されているのが世界情勢でしょう、という現実をまず設定しよう。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034241387

naoya_fujita

@ crow_henmi 得るもの、というか、「論理」ってそういうものだから。現実原則とは関係ない。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034242789

mine_o

@ crow_henmi ちょっとアクロバティックだけど東を肯定するのは、実は東みたいな立場を織り込んでおかないと言説のパワーゲーム戦ってる人たちに逆に不利益なことになるんじゃないか?と思うからでもあるんだよね。パワーゲームありきじゃバカが大挙して押しかけた時に逃げ場がないよ http://twitter.com/mine_o/status/1034243845

crow_henmi

@ naoya_fujita リベラルが世界を覆いつくす普遍理念であった時代はないし、世界情勢の変化でリベラルの枠組が効力を失ったとは思わないので、その設定には納得できないものがあります。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034245176

crow_henmi

@ naoya_fujita それこそコミットメントへの自覚のなさではないかと>現実原則の無視。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034247176

naoya_fujita

@ crow_henmi アンガージュマンしなきゃいけない、ということが、疑われない「正義」であるという前提がない? その意見には。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034250518

crow_henmi

@ mine_o パワーゲーム上の不利は、リベラルや左派にグレートコミュニケーターが生まれれば解決することだと思っているし、それはリベラルが必要とされるならば必ず現れるものだと思っている。あと、リベラルは常にパワーゲームを闘ってきたので、今更パワーゲームを恐れることはないだろう。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034250830

crow_henmi

いや、アンガージュマンじゃなくて、どうあれコンテクストには縛られるのだという消極的な自覚。誤配性とかも含めて。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034252572

naoya_fujita

@ crow_henmi 最初に言ったけど、「論理」の世界と、「現実の政治」(コミットメント)は別だから。論理的に徹底すると「何が本当か分かりません」以上のことは言えない。しかし、現実も政治もある。この飛び越えの間にある「深淵」を示しているように僕は思う。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034255406

crow_henmi

@ naoya_fujita それについては純粋論理の無意味さをひたすらに感じるなあ、というのと、純粋論理的にも「何が本当かわかりません」だけではすまないアクロバティックな突破口があるということのふたつがあって。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034259604

crow_henmi

@ naoya_fujita つか純粋論理なら社会工学方面にコミットメントもしてる東氏としてはそういうアクチュアルな話題を持ち出さなければいいと思う。どの立場での話よ、ということになるんで。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034261589

mine_o

@ crow_henmi うーんあそこまでの叩きっぷりはそういう決断主義以前だと思うけど…ともかくまあそんな感じです。飯食ってきます http://twitter.com/mine_o/status/1034262549

naoya_fujita

@ crow_henmi いや、アイロニーなんだってw あれは。ツッコミとかに近い。僕の読みではね。真意は分からない。相手の矛盾を指摘しているだけなんだよね。現実の政治とか考えてないんじゃない。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034264015

crow_henmi

@ naoya_fujita あと、デリダが云う「我々は現実の痕跡に触れられても現実そのもの=外部には触れられない」というようなのは、痕跡という現実の対象aをもってして現実を逆照射することを否定していないと思う。「何があったかわからない」ではなく「何かがあった」は必ず云える。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034265598

naoya_fujita

相手の論理で、相手を攻撃して自壊させる、っていう。そういう技だよw あれは。多分 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034272020

crow_henmi

@ naoya_fujita アイロニーだとしても、現実にパフォーマティブな部分で反論受けてるからそれに対してある程度誠実でなければならんのではないかなあ。とは思う。実際にパフォーマティヴには歴史修正主義に大きく譲歩しているわけだし。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034274443

crow_henmi

@ naoya_fujita リベラルというスキームが条件付きの物だってのは運用している人間の大半判っていると思うので、その枠組の外部を導入して脱構築するということ自体が「内側」に止まってる人たちにはわからないし無意味なんじゃないかなと思う。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034277492

naoya_fujita

@ crow_henmi 普通にパフォーマティヴに左翼を攻撃しているんでしょう。そして「歴史修正主義」という言い方には、「決まっている真実」があり、それを修正している、という意味を含意していると思うが、「決まっている真実」がない以上、「歴史修正主義」というレッテルもおかしい http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034279035

naoya_fujita

「決まっている真実」(虐殺の数)があると思い込み、疑わず、それを信じない人に「修正主義」とレッテルを貼って攻撃する思考停止型左翼を攻撃しているんでしょう。普通に。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034281855

crow_henmi

@ naoya_fujita 現実レベルでは歴史学なめすぎじゃないの、というのと、純粋論理的にはそれアガンベンでひっくりかえせますから、というのが、hokusyuさん辺りの反論だったなあ。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034282522

naoya_fujita

@ crow_henmi しかし昔喧嘩になって調べたんだが、歴史学者の中でも意見が大きく割れているんだから、どうすんの、っていう。もうソース忘れたけど、アカデミックな権威の人が、数万から数十万まで別々のこと言ってたよ。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034286302

naoya_fujita

歴史学を信頼していないわけではないが、歴史学者の中にもイデオロギー的偏見があり、「歴史学者」の発言に正当性を与えるであろう「権威」もどうだかなぁ、という場合、何を信用したらいいのか。いろんな説があるはずだよ。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034288083

crow_henmi

@ naoya_fujita 一方で言論のパワーゲームにおける思考停止型左翼の無能を批判するなら、ああいうことを云う必要はないよなあとか思う。単にディベートのテクニックが足りないですむことではないかと。そしてあずまんのいう思考停止左翼にあずまんのアイロニーは届かないだろうと。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034290546

crow_henmi

@ naoya_fujita 「あったこと」はそれでも事実認定されているわけですよ。数がゆらぐのは技術的・政治的問題にすぎないわけです。いま、それがわからないからといって、「虐殺そのものがあったともなかったとも云える」というのはやはりおかしいわけです。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034293192

naoya_fujita

@ crow_henmi 俺も「私的には」あったと思うよ。しかし、その「事実認定」を誰がどのような権威によりどうして行い、それが承認されているのか、考えると、結構おかしいんだよね。科学的手法だからいいとか、大学が認めたからそうだ、ってのもおかしい。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034297416

naoya_fujita

「事実認定」する機関が大学だとしてもいいが、大学は一時期左翼に占領されていたわけでねえ。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034298258

naoya_fujita

別に左翼に限らず、国の御用学者が認定する「天皇家の歴史」とかねえ。「歴史」をどうキャノナイズするかの問題で、「過去の事実」全般の難しさかもね。これは。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034303127

crow_henmi

.@ naoya_fujita 「岡村寧次大将資料」とか、一次資料の山にもかなりの略奪暴行行為が記載されているんですけど、ポモ的にはこれも捏造といえる、ということですね? http://twitter.com/crow_henmi/status/1034303134

naoya_fujita

@ crow_henmi 略奪・暴行行為自体だけであればどの戦争でもどの国でも起きているわけだから、「南京大虐殺」という固有名詞で呼ぶに足るほどの特異性があるのかどうかかなぁ。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034306861

crow_henmi

@ naoya_fujita 日本軍当局者、それもかなりの高官が軍内文書で「言語に絶する」と表現したほどのものですから、かなり特異であったのは確かだと思います。少なくとも、虐殺肯定派の最小数をみても、このような多数の犠牲者が会戦後の占領地域で出た例は、少なくとも近代戦では稀です。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034318481

naoya_fujita

@ crow_henmi 俺も昔はというか今も左翼なのでそういう主張をしたが、必ず返ってくるのは、広島・長崎・東京大空襲の方がひどいだろ、っていう意見で。確かに日本だけが反省してアメリカは反省してないのだから自虐史観とも言えるなぁと。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034323259

crow_henmi

@ naoya_fujita とはいえメリケンが反省しないから俺も反省しない、では倫理的にもパワーゲーム的にも通らないので。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034325594

naoya_fujita

僕はヴォネガット読者なので、ドレスデンとかも思い出すのだが。総力戦というか、絶対戦争状態なのだから、世界のあちこちで虐殺に近いことは起きていたはず。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034325991

naoya_fujita

倫理的、パワーゲーム的ってのがよくわからない。自分の信じる正義と違う意見は「倫理的じゃない」と言える無敵の言葉なので。倫理というやつは。正義も。別に反省してどうなるものでもないと思う。第二次世界大戦の「絶対戦争」に至る世界全体の構造をどげんかせんといかんと思う。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034330451

crow_henmi

@ naoya_fujita 倫理的、というのはそんなに便利でもないと思うなあ。基本、倫理は個人に内在するものだけど、それが止揚されたり広まったりしてひとつの時代的精神としての倫理を生み出す。これはあいまいなものだけど、それなりに共有されるものではある、と思う。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034339612

naoya_fujita

@ crow_henmi 僕はアンチ倫理なのでw 例えば年金テロの小泉があれは自分で倫理的だと信じていたとしようか。倫理的じゃないだろw っていうでしょう。大勢は。とすると大勢の支持がない倫理は倫理なのか。それとも私的でいいのか。支持のない倫理ってのは左翼ってことだけど。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034343657

crow_henmi

@ naoya_fujita 基本、倫理は個人的なもので、ただ共有されうるし、その共有度が強いほど強力に社会を覆う、というのはあり。大勢の支持がない倫理も存在し得ますが、支配的になるのは強力な倫理かと。そして左派は強力な倫理を背景にするため、実感主義や虚無主義に抵抗されます。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034353579

naoya_fujita

@ crow_henmi 多分これ以上は信念の話になるので議論にならないと思います。僕の立場としては、倫理や正義という言葉には両義的です。倫理や正義の名の下に、単なるエゴイズムを押し付ける結果になることもよくあると思うから。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034380494

crow_henmi

@ naoya_fujita 用いられる状況の多様性やコンスタティブ/パフォーマティブの問題などを考えると、両義的と捉えるのもわかります。まあでも両義的なわけだから、片方には純粋倫理みたいなものが想定できるんじゃないかと思います。とりあえずそんな感じで。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034386854

crow_henmi

@ naoya_fujita ケロッグ・ブリアン条約のことも忘れないでください…… http://twitter.com/crow_henmi/status/1034398885

naoya_fujita

@ hokusyu82 @ crow_henmi 今ブログを流し読みしてきたけど、君たちはベタな左翼なんだねえ。僕ちんも社会党が政権とっちゃっている北海道生まれで、マルクス・レーニン主義の北教組に教育され、早稲田に行ったバリバリの左翼ですよ。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034427803

crow_henmi

@ naoya_fujita 俺はあんまり左翼って自覚ないですけどね。むしろ我が内なるナチスが怖くてぶるぶるしてる小市民かと。 http://twitter.com/crow_henmi/status/1034430437

naoya_fujita

@ hokusyu82 @ crow_henmi なんというかなぁ、俺も気持ちはわかるんだけどなぁ。僕は「フリーターの給料はあげようよ」「死ぬほどきついのはなんとかしよう」ぐらいにまで撤退した左翼なので。東さんにも「左翼」だと言われたし。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034432436

naoya_fujita

どちらかというとポモってのは最初から左翼とかマルクス主義みたいな考え方が支配的になったことによる問題を撃つために現れたわけでね。僕は出自は左翼で、ポモに走って、今、ポストモダン思想がネオリベを招いたことから再左翼化している状態でねえ http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034435479

naoya_fujita

だから素朴かつヒステリックな左派の主張にはのれないんですよ。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034439686

naoya_fujita

俺がネトウヨと呼ばれる日が来るとは思わなかったw 極左と罵られていたんだが。 http://twitter.com/naoya_fujita/status/1034465842