池上高志氏講義@筑波

sakstyle

今日の池上さんの授業をまとめると、複雑系というのは「生命とは何か」について考える、というか生命の条件みたいなものを見つけ出してくもの。だから、半生命みたいなのが対象。 http://twitter.com/sakstyle/status/1112856920

sakstyle

で、最後にアート、特に実験音楽サウンド・アートの話になったけど、作品がどういう時成立するのかってことが問題になってくるんじゃないかなあとか思った http://twitter.com/sakstyle/status/1112858291

boy_smith

うちのボスは別の大学へもいろいろ出張しているのですか・・。?? http://twitter.com/boy_smith/status/1112860693

sakstyle

@boy_smith ボスって、池上高志さんですか?http://twitter.com/sakstyle/statuses/1112863202

boy_smith

@ sakstyle わあ。そうであります。って、sakさんはご存知だと思うわけですが^ ^;筑波で講義したのですか?? http://twitter.com/boy_smith/status/1112865081

sakstyle

@boy_smith 土曜日と月曜日(つまり今日ですね)に、集中講義をしていただきました。面白い講義でした。http://twitter.com/sakstyle /statuses/1112866494

boy_smith

@ sakstyle そうですか。哲学系の授業ですか?アート系?最近は僕の関心がずれてきたのでアレですが、複雑系の他分野を横断するさまは本当に魅力的です。楽しんでいただけたようでよかったです。そこらへんのことなら色々議論できるので時間があれば是非ご意見をお聞かせください。 http://twitter.com/boy_smith/status/1112871419

sakstyle

@ boy_smith 一昨日は、複雑系の基本的な概念についてのレクチャーでした。カオスとか散逸構造とかから始まってって感じです。今日は、『動きが生命を作る』の話でした。自走する油滴とか第三項音楽とか、ですね。 http://twitter.com/sakstyle/status/1112883270

sakstyle

複雑系やっぱ面白いよなあ、と思う一方で、危ういところだよなあとも思う。何か強い確信なり哲学なりを持ち合わせてないと、やっていけなさそう http://twitter.com/sakstyle/status/1112889045

sakstyle

というか、複雑系使って、「○○はこういうことなんです」って言っても、「で、どういうことなの」とか言われちゃいそう。 http://twitter.com/sakstyle/status/1112889692

Muichkine

複雑系科学はストーリーテリングが重要、すなわちほとんどアナロジーでしかない。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112896301

Muichkine

ただそれと同時に圧倒的なテクスチャーを獲得していることを池上氏は強調している。ロジスティックマップの分岐図を使うことで、非線形性が容易にカオスを生み出すことや、カオスへいたるまでの感覚に普遍性があることなどのストーリーが説明できるがそれと同時にあの図は圧倒的に綺麗だということ http://twitter.com/Muichkine/status/1112898425

Muichkine

感覚じゃなくて間隔、普遍性とはファイゲンバウム定数のことな。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112899362

hihumi

@ sakstyle 科学的知に代表されるコストの高い「言葉と物」的な認識論は、マスへの浸透という観点から見ると、現状、神話的な知には量的に勝てないということではないでしょうか。(強引) http://twitter.com/hihumi/status/1112898587

hihumi

@ Muichkine あれってアナロジーなんですか。じゃあ渋谷慶一郎さんなんかとやってるのもそういうアナロジカルな実践の範囲を出てないんでしょうかね? http://twitter.com/hihumi/status/1112901572

hihumi

@ Muichkine 福嶋さんの語彙に従ってみたんですけどね。 http://twitter.com/hihumi/status/1112902409

Muichkine

@ hihumi 渋谷さんと一緒にやってる学者さんの講義を受けてきた。アナロジカルな実践ですらなくて、複雑系科学が生み出したテクスチャー、つまり新しい触感(視覚的なものだとしても)にみなが触れていくプロセスも重要だよねということでアートをやってるらしい。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112904339

boy_smith

複雑系はたしかに実際にアナロジーでしかないとおもいます。その部分がまさに複雑系科学が「科学ではない」と批判される部分ですね。 http://twitter.com/boy_smith/status/1112905343

hihumi

要するに、筋道だてて論理的に考えるというのは一種の演算、それも量的に結構膨大な演算であるので、それを全てのマス(大衆)にそれぞれ正しく理解させる(演算させる)のは実行力にかけた現実的でない考えだということ。 http://twitter.com/hihumi/status/1112906049

sakstyle

@ Muichkine テクスチャって、どういう意味なのか今いちよく分かってないんだけど、どういうことなの? 手触りとかそういう意味? http://twitter.com/sakstyle/status/1112906685

sakstyle

池上さんは、生命とは何かという問題にすごく拘っていたというイメージ。どういうのを作れば、みんなが文句なくこれは生命だと言えるようなものになるか、ということを考えているのかなあと。 http://twitter.com/sakstyle/status/1112907646

Muichkine

@ sakstyle 単純にルール110の生み出すパターンとか、ロジスティックマップの分岐図のフラクタル感って見てて何か心動かされるものがあるじゃんてきなことだろう http://twitter.com/Muichkine/status/1112908101

hihumi

科学的知、というのは「言葉と物」を正確に対応させて論理的に処理していく、一種のコストが必要な知であり、ホモサピエンスにとってデフォルトな道具ではないという話が福嶋さんの理論の一部にあったと思ってたんだけど違いましたっけ? http://twitter.com/hihumi/status/1112909682

sakstyle

でも、絶対に納得しない人もいるよなあと思うw というか、生命というのには材料とかが重要なんだという考えにたてば、ロボット作ったり油動かしたりしても、そんなに生命じゃないってことになってしまうだろう http://twitter.com/sakstyle/status/1112910108

sakstyle

機能主義の立場に立てば、生命の機能を持ってれば生命ってことになるけど。 / 機能主義っていうのは、この場合、心の哲学の言葉。心の機能を持っていればそれは心とみなすという立場。この立場にたつことによって、シリコンのコンピュータにも心はできるといえる。 http://twitter.com/sakstyle/status/1112911662

sakstyle

確かサールは、心を生み出すのには材料が重要だと考えているので、コンピュータをいじってても心なんてできないという立場。 http://twitter.com/sakstyle/status/1112912594

Muichkine

1 現実と理論の間に一対一の対応があることを理論と実験の両側からつき合わせていくのが通常の科学。 2 物理レイヤーの上に、要素還元不可能に『見える』生命的なものが生まれるというストーリーを、アナロジカルに実演してみせるのが複雑系科学 http://twitter.com/Muichkine/status/1112913058

Muichkine

3 複雑系科学の実践の場で生まれたものに確かに宿る直感的な感覚テクスチャーを重視しするのが池上氏のアート活動なのだろう。池上氏は自分を分裂させて 2と3を同時にやっているといっている。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112913206

sakstyle

ペンローズの、マイクロチューブルとかも、そういう考えなのかなあ http://twitter.com/sakstyle/status/1112913632

sakstyle

@ hihumi マスへの浸透を目指すがゆえに、アナロジーとかストーリーテリングになっている、というわけではないと思う。そもそも、対応付けをどうするかということで http://twitter.com/sakstyle/status/1112915995

hihumi

@ sakstyle テクスチャはとりあえず術語としては音楽理論とか建築運動とか辺りから出てきた言葉で、視覚的触覚的に認知される「質感」とでも訳せる概念ですね。要するに、カオス(量的な演算)によって生成される図形やら構造やらのテクスチャー(つまり質)の異質性の話じゃないですか。 http://twitter.com/hihumi/status/1112916575

Muichkine

@ hihumi 福嶋さんが言ってるかどうかは知らんしどうてもいいけど、そこで言われているのは普通の科学なわけだろ、複雑系科学はそれ自体があんまり科学的ではない、科学とアートの中間領域だから話がこんがらがる。OK? http://twitter.com/Muichkine/status/1112917264

sakstyle

複雑系ってこういうことかなあと思ったのは。まず、とりあえず数学的な式とか構造とか色々考えてる→今までの理論だとうまく説明できなかった現象と似たような振る舞いするぞ→今まで見たことなかった現象が出てきたぞ http://twitter.com/sakstyle/status/1112918574

thinkeroid

@ sakstyle 「生命」については、最近読んだ大森荘蔵に影響されて、それ自身は完全にプリミティブな、アニミスティックな単語だと認識するようになりました。 http://twitter.com/thinkeroid/status/1112919992

sakstyle

で、その色々作った数学の部分と現象の部分がちゃんと対応しているのか、説明になっているのかがよく分からない。というのも、同じ道具を使って、生命も脳も進化も経済も説明できるぞと言っているから。説明できてたらすごいよなーと思う。でも、何でも説明できるってほんとかいなとも思うw http://twitter.com/sakstyle/status/1112920584

Muichkine

@ sakstyle 進化は別な、進化は別にまた理論がある。複雑系科学では進化的なテクニックを利用しはするけど、複雑系科学がなくても進化の理論は構築できる。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112923073

hihumi

@ sakstyle マスへの浸透というのはそのあとklovさんが「神話」でまとめたことに対して言ってみただけでして、まあでも科学は啓蒙の機能を持ちますし、そこではいつだってストーリーテリングの力は要求されるでしょう。複雑系科学の問題はストーリーだけ語っても仕方がい所なんですかね。 http://twitter.com/hihumi/status/1112923346

sakstyle

でも、それの対応が本当にあるのかということを考えるのは、滅茶苦茶難しい。そもそも今の科学だってちゃんとできているのかどうかよく分からない。 http://twitter.com/sakstyle/status/1112923421

hihumi

@ Muichkine そうですか。分かりました。こんがらせてすいません。 http://twitter.com/hihumi/status/1112924357

sakstyle

今、普通に科学って呼ばれているものは、現象を数式にすることで説明する(大雑把でごめんなさい、科学をやっているひとたち)。でも、なんで数式なの、ということはある。別に図形にしてもいいんじゃないかと(図形は数式にできるけど)。古代ギリシアは、数式じゃなくて図形使うはず http://twitter.com/sakstyle/status/1112926785

sakstyle

何で数学使うと色々なことがちゃんと説明できるんだろーって疑問に対しては、プラトニズムとか直観主義(?)とか色々立場があるけど、自分にはもうよく分からない領域だ。 http://twitter.com/sakstyle/status/1112929682

Muichkine

@ sakstyle 形式論理=数学、記号と数字が等価であれば図形も等価だろう。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112929862

boy_smith

科学だって、最終的には数式やデータの解釈を行うわけで、かならず研究者の主観とまではいかないけれど、それにちかいものが効いてくる。 http://twitter.com/boy_smith/status/1112930069

hihumi

@ Muichkine いやまあそんなこと知りませんし僕も適当ですしw。とはいえ、複雑系科学が得られた定理やら法則やらデータやらで物理や経済や生命の帰納的説明を行うという点ではまだまだ実証的レベルに到っていないというのは初耳でした。勉強になりました。 http://twitter.com/hihumi/status/1112930336

boy_smith

その解釈の部分の比率が大きいのが複雑系科学かもしれない。その部分のことをストーリーテリングと呼んでいる気がする。 http://twitter.com/boy_smith/status/1112930876

Muichkine

数学は論理だろ、言葉だろ。なんで数学を使うとうまく説明できるのか、日常言語で説明したときに齟齬が生まれてるだけだろう。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112932638

boy_smith

実証というのも何をして実証と呼ぶのかは難しい。歴史学であれば一次資料発見が実証を担保するだろうし、社会学であればフィールドワークで得られたインタビューや参与観察データ、計量分析結果が実証を担保するだろう。実証という言葉は非常に相対的なものだと思う。 http://twitter.com/boy_smith/status/1112933094

sakstyle

@ hihumi 実証レベルに至ってない>うまくいってる部分もあるんじゃないかなーと思う。 http://twitter.com/sakstyle/status/1112935240

boy_smith

図形でもいいのだと思う。ただ、共通了解をえる言語として弱い気がする。 http://twitter.com/boy_smith/status/1112935815

hihumi

@ Muichkine いや、数学の体系がそれ自体で無矛盾であるということはゲーデルによって証明不可能とされてますし・・・なんてことは少なくともあなたには言う必要性を感じない。なんてったって、前、大量にメモしていきましたしねw http://twitter.com/hihumi/status/1112936224

Muichkine

実証という言葉は相対的なものだが、複雑系科学は、普通の科学とは方法論が違っているので、実証をしっかりすれば通常科学に取って代われるというレベルの相対的な違いではなく、根本的にずれているところがあると思う。僕自身は非常にエキサイティングな分野だと思うけどね。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112937614

sakstyle

@ Muichkine うーん、つまりそれが本当に世界を反映しているのかどうか、ということ。うまくいえない http://twitter.com/sakstyle/status/1112938451

thinkeroid

そしてアニミスティックなものであるとして、今いるdescendantsを見て人間がそれを「生命」を持つと定義している、にすぎない。 http://twitter.com/thinkeroid/status/1112939279

Muichkine

@ hihumi なんで図形を使わないで数学を使うのかって言葉に対するレスだからな、言語と数学は翻訳可能なので図形とも翻訳可能だし、不完全性を抱えているとか関係なく、数学は完全だから科学に使えると言っているのではなく数学はただ便利だから使っているということな。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112941753

boy_smith

@ Muichkine なるほど。とすると、どうすれば複雑系科学が科学になりうると思いますか?実証をしっかりする、というのはデータをたくさん集めてくる、ということではないですよね?しっかりするべき「実証」が相対的であるがために「実証」というのは常に難しいと思うのです。 http://twitter.com/boy_smith/status/1112941940

hihumi

@ sakstyle 現象の説明においてということでしょうか?もちろん広義の複雑性科学で考えれば、例えばそもそもロジスティック写像の自然界における発見とかがありますしね。ただ人工生命というレベルにまでいくと、やはり実証的な方法は無いわけでしょう。実際それで人工生命作れていない以上。 http://twitter.com/hihumi/status/1112943334

Muichkine

@ sakstyle 普通の科学であっても、モデル(数学)と現実との間の対応関係は確実なものではないだろうということな。確かにそう思うよ。複雑系科学よりも普通の科学が現実をよく捉えているというとき、そこで必要とされる条件は数学ではなく根本的な方法論だという話な http://twitter.com/Muichkine/status/1112943897

boy_smith

@ thinkeroid はじめまして。生命は定義の問題ではないと思うのです。だからといって、つくって「わかった」となるものかどうかもわかりませんが。 http://twitter.com/boy_smith/status/1112944132

sakstyle

@ hihumi うーんと、だから、結局実証ってどういうことってことになってしまうというか。 http://twitter.com/sakstyle/status/1112944957

Muichkine

@ boy_smith そもそも普通の科学足り得なくてもいいんじゃないかってのが複雑系科学(科学ってついてるから分かりづらくなるなw)なんじゃないかなって認識ですね、僕は。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112945707

boy_smith

「つくった」あとに「解釈する」ことがある以上、「解釈する」ことすら「つくる」に入れ込む必要があるわけだ。(というのが郡司さんがやっていることだと思っているが) http://twitter.com/boy_smith/status/1112946105

Muichkine

普通の科学には圧倒的な限界があるということを認識して普通の科学を進める、それと同時に別の分野で複雑系科学を進めるという二枚看板が必要だと思うよ。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112946893

Muichkine

普通の科学の圧倒的な限界というのはモデルに課す線形性の仮定、現実の一次近似ということだな。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112947616

hihumi

@ Muichkine 現象の記述として帰納的に導かれた数式が優れているとはいえ、それは逆に言えば数式で記述できない現象を人間があまり発見できていないということではないかと今ふと思いました。あるいは発見できない? http://twitter.com/hihumi/status/1112949541

Muichkine

数学的な技術(解析学)の限界が相当ネックになってるよね。これは人間の能力の限界なのか、数学に備わった科学の不可能性なのかどっちなんだろう。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112949978

boy_smith

@ Muichkine 返答ありがとうございます。たしかに複雑系科学という名前はややこしいですね。僕はあくまで科学としてやっていくべきだと思っていて、だからこそ複雑系「科学」と名乗るべきだとは思っています。 http://twitter.com/boy_smith/status/1112950924

Muichkine

@ hihumi 重要なのは数学で記述できないってよりも、数学で記述した際に解を導けない現象だな。まさにそこが複雑系科学の領域な。コンピュータでがりがり数値計算することで解析の代替をするという。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112952542

Muichkine

@ hihumi さらに言うと、数学で記述できない現象というのはまさにクオリアのことだな。僕はそっちの問題にはあんまり興味ないけど。数学で記述できない現象というのもあるらしいよ(どうかな僕は実は信じてなかったりする、逆に数学を信じていたりする) http://twitter.com/Muichkine/status/1112954217

boy_smith

複雑系科学はコンピュータシミュレーションなくしてはありえないというのはその通りだとおもう。 http://twitter.com/boy_smith/status/1112954609

thinkeroid

@ boy_smith はじめまして。いや、失礼ながら生命は定義の問題です。(いきなり決裂) http://twitter.com/thinkeroid/status/1112955316

optical_frog

@ sakstyle サールてんてー自身は,原理的にはコンピュータに意識をもたせることも可能だと考えてるみたいです.引用:“「脳は機械である」とも書きましたし,「もちろん原理的には脳がやっていることをやれる人工物もつくりだせる.それには因果的な力を模倣しないといけない」” http://twitter.com/optical_frog/status/1112955368

Muichkine

数学で記述できないってまあ単に非言語的知ってことだよね、君が非言語的な知があると思えば、言葉にできない何かが世界にあると思えば、それは数学でも記述できないだろうな。まあ単純にそういうことだろう。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112955692

optical_frog

※サールてんてーのインタビュー(拙訳)
http://www.scribd.com/doc/1... http://twitter.com/optical_frog/status/1112956271

optical_frog

ただ,彼の論証が成功しているかどうかはわかりませんが. http://twitter.com/optical_frog/status/1112957389

boy_smith

@ thinkeroid 笑。ということは、哲学問題であって自然科学は何もできないということですかね? http://twitter.com/boy_smith/status/1112957635

hihumi

@ Muichkine コンピュータでがりがり計算する(シミュレーション)というのはある意味最もラディカルな帰納的解決法ですよね。そういう意味では複雑系も、完成していない帰納型推論の一種であって、別に帰納であるという意味では通常科学と変わっていないと思うのですが。 http://twitter.com/hihumi/status/1112957761

sakstyle

@ optical_frog ありがとうございます。というか、 optical_frog さんが来るのを待ってました。サールについて言及したときにw http://twitter.com/sakstyle/status/1112958127

Muichkine

@ hihumi 「通常科学」ってジャーゴンは別の分野で使うから注意な。俺は気をつけて通常の科学ってお茶を濁してるんだぜ、まあこれも危ういだろうけど。そして、その普通の科学ってのは、帰納的な推論だけで全てを解決するわけじゃなくて演繹的な推論との両輪で動いてるからな。帰納だけじゃ駄目 http://twitter.com/Muichkine/status/1112961473

boy_smith

コンピュータシミュレーションでの証明が数学的証明かという議論は存在する。 http://twitter.com/boy_smith/status/1112961935

sakstyle

生命は定義の問題だとしてもー、その定義をどこらへんに持ってくるかとかで、自然科学で扱える問題になるんじゃないのか http://twitter.com/sakstyle/status/1112962195

sakstyle

というか、その定義を、自然科学の範囲では決められないってことか http://twitter.com/sakstyle/status/1112962733

Muichkine

@ boy_smith ウルフラムですね。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112962765

hihumi

@ sakstyle まあでもボールは放物線描いて飛びますよね。あと放物線もすごい細かいマス目のノートで丁寧に書けば、悟性レベルで概形認識できますし。それでボールの軌道と放物線の関係は一目瞭然、そういう意味では科学は悟性にも基づいてて、そこが「実証」の肝なんじゃないかと思いますが。 http://twitter.com/hihumi/status/1112963563

thinkeroid

@ boy_smith いいえ。定義をした上であればできるし、しないかぎりできない、何も意味がないということです。たとえば或る研究者が「カクカクのことを生命と定義して、生命を人工的に構成しました」と言うならばそれは有意味です。阪大の四方さんとかかなり迫ってないですか。 http://twitter.com/thinkeroid/status/1112963709

thinkeroid

もっとも、ベンターもやっているわけだが。 http://twitter.com/thinkeroid/status/1112964110

Muichkine

@ hihumi すまん、チョンボした、検索したら俺も通常科学って打ってた、後ろから撃つようなことしてごめん、反省します。まじ猛省。ごめん http://twitter.com/Muichkine/status/1112964832

shokou5

サール自身は狭義の機能主義に反対しているというのが僕の理解です。つまり現在の半導体を用いたコンピュータには神経が実現している因果連関を再現できない。機械に心は宿らないとアプリオリに主張しているわけではない。 http://twitter.com/shokou5/status/1112965166

boy_smith

@ Muichkine ウルフラムもしかり。数学者でもやはりそういうことを考えるようです。(って、ウルフラムは数学者かな?) http://twitter.com/boy_smith/status/1112965219

thinkeroid

で、それに対して「俺はそれを生命と認めない」というならそれは最初から共通理解が成立していない、卓袱台返し、ディベートの言葉を使えば「New argument」という反則にちかい。 http://twitter.com/thinkeroid/status/1112967121

boy_smith

@ thinkeroid でも定義するということは、その範疇に収まるものしか生命として捉えられないのでは?定義自体を変えながら生命を構成していくのなら、そのときそれは定義ではなくて仮定・仮説と呼ぶのでは?もっとも、定義と仮説の違いがわからなくなってきましたが苦笑。 http://twitter.com/boy_smith/status/1112968717

thinkeroid

それはVita sensu ThinkeroidとかVita sensu Boy-Smithみたいな形で併記されるでしょう。「Thinkeroidの云うところの生命」等々。 http://twitter.com/thinkeroid/status/1112968836

hihumi

@ Muichkine でも複雑性も、現象面での話はしないとしても、数式結果から得られたグラフとかセルオートマトンの振る舞いから演繹的な推論をちょこまかするはずですし・・・そんなに決定的だと言い切れるほどの差異が具体的にどこにあるのかいまいち理解できずにいるのですが。 http://twitter.com/hihumi/status/1112969508

boy_smith

定義と仮説・仮定ってマジで何がちがうんだろ? http://twitter.com/boy_smith/status/1112970125

sakstyle

@ hihumi そういう意味での「実証」だと、やっぱり複雑系はうまくいっているようなうまくいってないような。「これとこれの形似てるじゃん!」という一目瞭然さはあるけど、「単に似てるだけじゃん」ともいえる。「単に似てるだけ」とそうでないとの区別はどこらへんにあるのか http://twitter.com/sakstyle/status/1112974706

boy_smith

でも池上さんは生命が出来たときにはみんな分かるんだ!」って言ってるんだよなあ。構成論的アプローチはそれを信じるしかない、と。つまり、「××が言っている生命・・」みたいなのを複雑系科学は超えられる、と。 http://twitter.com/boy_smith/status/1112974991

sakstyle

@ hihumi あと、そういう人間の悟性(?)に訴えて考えると、じゃあ量子力学とかどうなの、みたいな話もできませんか? http://twitter.com/sakstyle/status/1112975532

hihumi

諸言語構造と数学的構造の意味論的互換性というものは今一応自明視してますけど、具体的にはどういう風に証明される事柄なんでしょうね・・・意味論的に互換性があるわけだから・・・ http://twitter.com/hihumi/status/1112975834

Muichkine

@ hihumi それは確かだな。複雑系科学でもまったく演繹しないわけではないだろう。うーん、そうなってくると根本的な方法論の違いを説明できればいいんだが、俺にその能力があるかちょっと不安になってきた、頭を使ってもすぐには出てこない。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112976111

boy_smith

参考はこれ(というか僕が司会だったんだけど笑) http://d.hatena.ne.jp/k16/2... http://twitter.com/boy_smith/status/1112978686

sakstyle

@ boy_smith 確かに話を聞いていて、そういう確信を感じました。でも、その確信はほんとに正しいのかという不安も感じました。「いや、それは違う」って出てくる人は絶対出てくるようなw http://twitter.com/sakstyle/status/1112979209

hihumi

@ sakstyle そこはだから逆に量子科学の結晶であるコンピューターによって神話的に納得させられているのではないかと思うんですけどね・・・ある盲目の数学者はn次元空間を普通の空間のように認識できるといいますし、人間の悟性というもの自体が、そもそもかなり柔軟なのでは? http://twitter.com/hihumi/status/1112979721

Muichkine

未来予測可能性と操作可能性が根本的に線形性に頼っているというということなんじゃないだろうか http://twitter.com/Muichkine/status/1112980145

boy_smith

@ sakstyle ちなみに僕は池上さんの確信は「違う」と思っています。セミナーでも議論になったのですが、社会的文脈や文化的背景が相当強く反映するのではないか、と。ある未開の地の原住民に見せたらこれは生命だと主張されるようなロボットもすでにあるのではないか、と思うのです。 http://twitter.com/boy_smith/status/1112983239

sakstyle

「寄り添う」か。だから、池上さんは油のことを「この人」とか呼ぶのかなw http://twitter.com/sakstyle/status/1112984292

boy_smith

@ sakstyle そうです。だから「この人」と呼ぶのです。「二人称的な存在」が重要なんじゃないか、と考えているようで、そのことに関しては僕は同意します。 http://twitter.com/boy_smith/status/1112986707

boy_smith

まあ、四方さんがやってることは普通のことであって、生命に対するアプローチとしてはクリティカルな部分であかんと思うけれど。 http://twitter.com/boy_smith/status/1112987944

sakstyle

@ boy_smith 確かにそういうことはありそうですね。僕も、 A-LIFE とか生命じゃんとか思ってます。条件をゆるくとるか、厳しくとるか、そこらへんに文化的背景とかはありそうです。 http://twitter.com/sakstyle/status/1112988677

hihumi

@ Muichkine でもまあ複雑性がそれ以外の領域と現実的に経路が異なるということは良く分かりますよ。あと思ったんですが、方法論においてシュミレーションを多用するという意味では、超ひも理論M理論なんかとも近いかもしれませんね。方法レベルで。 http://twitter.com/hihumi/status/1112988764

Muichkine

@ hihumi カオティックな振る舞いをするかもしれない系の記述をするのが複雑系科学だから、素直な系の振る舞いしか予測しない(できない)普通の科学とは違う。ってのじゃ駄目なんかね、トートロジカルかなあ。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112989024

thinkeroid

@ boy_smith じゃあ何が良いんですか? http://twitter.com/thinkeroid/status/1112989026

sakstyle

生命の条件みたいなものは、どこらへんにあるのか分からないけど、そんなに厳しくしない方がいいと思っている。というのは、地球外生命体を見つけたとき困るからw http://twitter.com/sakstyle/status/1112990198

boy_smith

超ひもやM理論はシミュレーションを駆使するのか・・。知らなかった。勉強しないと。 http://twitter.com/boy_smith/status/1112990324

hihumi

線型性というのが僕いまいち良く分かってないんですよね。ベクトルとか行列のお友達ということなんでしょうか?馬鹿な高校生ですみません・・・ http://twitter.com/hihumi/status/1112992531

sakstyle

池上さんとかが色々作っている「モノ」を生命と見なすかどうかと、地球外に見つけた「モノ」を生命とみなすかどうかというのは同じ問題だと思うけど、一般的に前者には厳しくて後者にはゆるいような気がしなくもないんだけど、どうだろう。 http://twitter.com/sakstyle/status/1112993181

sakstyle

っていうか、イーガンの『ディアスポラ』に出てくる地球外生命体ってまんま A-LIFE だったような http://twitter.com/sakstyle/status/1112993755

boy_smith

@ thinkeroid 自分が「良い」と思ったもので良いのではないでしょうか。それこそ文化的背景に強く依存します。僕は生命に関しては今ここで議論しているようなことが重要なのだと考えているのです生命をメタなレベルでの議論 http://twitter.com/boy_smith/status/1112994286

Muichkine

複雑系科学は当然普通の科学ではできなかったはずのことをできるようにするために生み出されたものだから、出来ることは増えてるが、出来ることが増えて失うものがなければ全てそれに移行すればいいのに移行しないということは失うものがあるということ。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112994529

Muichkine

出来ることとはカオス的な系の振る舞いを記述すること、失うものは未来を予測すること。 http://twitter.com/Muichkine/status/1112994741

boy_smith

途中で切れた。生命をメタなレベルで議論できていないことには不満がある、ということを書きたかった。 http://twitter.com/boy_smith/status/1112995187

hihumi

@ Muichkine 初期値鋭敏性のことから、あるカオス系における完全な未来予測の強い不可能性とかが導ければ、なんか根本的に違う感じになる気もします。・・・多分、僕が納得できる説明したとしても全く定義づけの材料にならないっぽいですw僕自身が馬鹿なので。 http://twitter.com/hihumi/status/1112997691

sakstyle

どうでもいい話。池上さんの話は面白かったし、いい話だったと思うんだけど、とりあえず「クオリア」って言っちゃうのはどうかなあと思った。「クオリア」って言葉に色々突っ込みすぎてないかなあと。 http://twitter.com/sakstyle/status/1112998865

boy_smith

生命論というのは長い歴史があるのだよな。シモンドンとかカンギレムとか去年読んでたんだけど。 http://twitter.com/boy_smith/status/1112999491

boy_smith

@ sakstyle クオリアはMさんとの友情ゆえではないですか?笑 http://twitter.com/boy_smith/status/1113001045

Muichkine

@ hihumi 線形性って直線で書けるグラフになるような関係のこと、y=ax+b。大学にいっても、これをめっちゃ使う、高校の数学でさえxの二乗とか三乗とかやるんだから、大学にいったらもっと複雑な関数について知ることができるかとおもいきや、上のような単純な式に近似して考える http://twitter.com/Muichkine/status/1113001187

sakstyle

それはつまり、茂木健一郎と仲がいいせいなんだろうなあ。何というか、もしかしたら「クオリア」にはそういう機能なり意味なりがあるのかもしれないけど、現段階でクオリアって言葉を使っちゃうのは安易な気がする http://twitter.com/sakstyle/status/1113001393

boy_smith

クオリアに関してはもっと哲学者と脳科学者あたりがマジで議論しないとあかんのだと思う。というか、両者をつなげる人がいないのが問題。心の哲学やってる人は脳の構造を知らないし、脳科学やってる人は哲学なんもわかってない。 http://twitter.com/boy_smith/status/1113004044

thinkeroid

@ boy_smith メタなレベルの議論は哲学であって、それは哲学者に任せるか、自ら哲学者になるかしかないでしょう。私は大森を真似て哲学者のフリをして「定義だ」と断じた、ということです。 http://twitter.com/thinkeroid/status/1113015065

boy_smith

@ thinkeroid なるほど。僕はそのメタなレベルを下のレベルまでもってきて自然科学として扱えないか、と期待しているのです(「無理だ」とおっしゃるかもしれませんが)。大森荘蔵は昔よく読んでいたの忘れてしまいましたが、再読してみます。 http://twitter.com/boy_smith/status/1113020866