罪/罰/赦し/更正

sakstyle

そうか、 @SuzuTamaki は罪と罰の物語を好むのか。 俺は、罪と罰が失効してしまうような物語の方が好き。
http://twitter.com/sakstyle/statuses/825245279

sakstyle

@SuzuTamaki それはそれとして「自分の罪を告白した被害者から同情に基づいた救いの手を差し伸べられてそれに縋るという行為は救いでもなんでもない」はわりと納得いかない http://twitter.com/sakstyle/statuses/825248095

SuzuTamaki

@sakstyle 罪と罰、そして更正の機会。ただし更正は新しいライフステージで始めてもらいたい。ここらへんの犯罪小説(っていう呼び名もどうかと思うので新しい呼び名を考えたいのだが)の定義はそのうちちゃんと書きたいな。
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825249030

SuzuTamaki

@sakstyle 同情に基づいた手を差し伸べること自体は否定しないのですが(黒沢の場合、恋人の存在があるので好ましくないが)、それに縋ることで救われるのはいやだなあ、救いになってないよ!って思う。 *Tw* http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825250636

sakstyle

@SuzuTamaki 何で新しいライフステージなのかなあ。被害者と人間関係的に切り離されることによる更正の方が「逃げ」っぽい http://twitter.com/sakstyle/statuses/825251401

SuzuTamaki

@sakstyle でもそういう救いもいいじゃんっていう人がいるのはわかるから書きながらむむむって思ったのです。 *Tw* http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825251533

SuzuTamaki

@sakstyle そこがポイントなんですよね>切り離されることのほうが *Tw*
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825252754

SuzuTamaki

でもそもそも更正というのは、そういうものだと思う。 *Tw*
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825253045

sakstyle

@SuzuTamaki 「救い」ってどういう意味で言っているのか分からないけど、被害者からの赦しを「同情」とか「縋る」とか言ってしまうのは非常に違和感がある。あれは、かなり人間的にステージが上がるというか、レベルが上がってるよ、お互いに。
http://twitter.com/sakstyle/statuses/825253493

SuzuTamaki

人生をやり直すということだから。人生を閉じてしまう自殺は完全な逃げだと思うけれど、やり直すことは違う。なかったことにするわけじゃない。記憶を消すわけじゃないから。でもなかったことにしているじゃんと思われても仕方ないとは思う。 *Tw*
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825254044

sakstyle

@SuzuTamaki 罰と更正って、赦しのプロセスがないと成立しないでしょ。被害者から離れちゃうと、赦しがないし。というか、赦しと罰がウロボロスのようにぐるぐる繋がるような感じかなあ http://twitter.com/sakstyle/statuses/825256144

SuzuTamaki

少年が「許され」て世界に戻った後、「やっぱり許さない」と言われてしまった場合、少年は反論できないと思います。「許してくれたジャン!」って泣き言言えない。すごすごと世界から撤退するしかない。 *Tw* http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825256680

SuzuTamaki

それって、「許す」という言葉によって束縛された生き方だと思うのです。それは、更正じゃない。再犯防止のために ID タグをつけられたような生き方に思えてしまう。 *Tw* http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825257261

sakstyle

@SuzuTamaki っていうか、許されるわけはないんだよ。許されないんだけど赦される、から、更正がありうるんじゃないかー。といって、漢字の表記を変えることで煙に巻く作戦。誰かが使い分けていて、なるほどなーと思ったんだよな。使い分けてる人は沢山入るだろうけど、どうせ宮台だ http://twitter.com/sakstyle/statuses/825259126

SuzuTamaki

犯罪者が疎外されることなく自由になるためには逃げなくちゃいけない。新しいライフステージを歩まなくちゃいけない。そういう結末が、僕の求める結末なのです。 *Tw*
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825259827

SuzuTamaki

@sakstyle 人間は犯罪を一度でも犯したら誰かほかの人間に許され続けなくては生きていけないものなのか。僕は NO と唱えたい。 *Tw*
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825260685

SuzuTamaki

僕の「許し」の主体は少年自身、あるいは神のようなものなのかもしれない。第三者による強制力とかは想定していません。 *Tw* http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825261899

sakstyle

@SuzuTamaki 疎外って、逃げてしまったら、元いた人間関係から疎外されっぱなしってことになるんじゃないのか http://twitter.com/sakstyle/statuses/825262852

sakstyle

@SuzuTamaki 神も第三者のうちに含むようなイメージだけど。それはともかく、自分で自分を許すことってできるのかなあ http://twitter.com/sakstyle/statuses/825263877

SuzuTamaki

@sakstyle その疎外は内面のものですよね。「許し」も「罰」も少年は少年自身からのみ与えられる。 *Tw* http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825264855

SuzuTamaki

@sakstyle すべてを忘れてしまったかのようにひたすら自分を許しまくるような状態は不可能だろうし望ましくもないでしょうね。「許し」と「罰」が自家発電され続ける。それを背負って新しい人生を歩き始めなくちゃいけない。 *Tw*
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825265419

SuzuTamaki

「すべてを終わらせてお前のもとに帰ってくる」って少年が言って戦場に向かって最後にはちゃんと少女のもとへと戻ろうとするところで終わる話が好き。少年が死んだりしたら駄目。 *Tw* http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825266306

sakstyle

@SuzuTamaki ゆるしと罰は、ウロボロスのようにずっとぐるぐると回る。でもそれは、加害者1人の中でぐるぐる回るものではない。それは、加害者と被害者あるいはさらにその外部ともぐるぐる回らないと、罪と罰にはならないんじゃないか
http://twitter.com/sakstyle/statuses/825269068

SuzuTamaki

@klov スザクは父殺しの罪を自己暗示で塗り固めて自分の行為の偽の動機にしていましたよね。それはあまりよろしくない。けれど父殺しの罪を正常に認識した後の彼は特に問題のない行動をしていたように思えます。 *Tw* http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825270073

SuzuTamaki

@klov もちろん自らの罪を愛する人にまで打ち明けて許されようとする態度は十分ではありませんが…ってなんか偉そうだなあ。 *Tw*
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825270514

SuzuTamaki

@sakstyle 自分の罪を盾に行為を強制されるような脅しを受けたときそれに抗するだけの論理を常に持っているべきだと思うのですよ。だから本質的に罰と許しは他人から与えられるものであってはいけない。 *Tw* http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825271759

sakstyle

@SuzuTamaki 「それに抗するだけの論理」(この場合論理ではない気がするが)は、自分1人だけで備給できるものじゃない。黒沢清とか青山真治とか見るんだ。ドストエフスキーだってそうだと思うんだけど http://twitter.com/sakstyle/statuses/825276596

SuzuTamaki

@sakstyle 一人だけで備給するべきっていうのが自分の立場ですが別にそれは論拠があったりするわけではないのでこれ以上は何も言えない。黒沢とか青山を見るべきというのは了解しました。 *Tw* http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825288645

SuzuTamaki

差し伸べられた親友の手はまだ握れないな。 *Tw*
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825290105

sakstyle

罪と罰と赦しは、犯人個人1人だけで完結するものではない、という考えには、かなり現実のことも想定している http://twitter.com/sakstyle/statuses/825291231

sakstyle

@SuzuTamaki ああ、あと『神戸在住』とかもいいな。でもあれは、違う人間関係グループの人から差し伸べられた手だから、 Suzu くんの考えてるパターンなのか? うーん
http://twitter.com/sakstyle/statuses/825293384

sakstyle

@SuzuTamaki リアル犯罪者の場合、新天地とか行きようがないじゃんとか思ってしまう。これは論点ズラしだと言われそうだから、今まで言わなかったけど。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/825295542

SuzuTamaki

@sakstyle リアル犯罪者の場合も勿論想定していて、彼らは基本的に遺族とは接触するべきではないと思っている。その程度。 *Tw* http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825297776

sakstyle

あと、相手のいることだから、1人の内部だけで完結しちゃいけないだろうという感じもある。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/825298443

SuzuTamaki

本当に誰も彼のことを知らない新天地、なんてものはまず想定できないだろうけれど、少なくとも被害者の近くには行くべきじゃない。 *Tw*
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825298961

sakstyle

@SuzuTamaki そこが大きな相違点だなあ。被害者ないし被害者関係者と接触せざるをえないし、長期的にはむしろ接触した方がいい。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/825300041

sakstyle

遺族との接見プログラムはヨーロッパでは結構あるっぽいような話を聞いたことがあるし、日本でもそういうことやっている人はいる http://twitter.com/sakstyle/statuses/825301037

sakstyle

去年あたりの四季賞でも、そういうテーマでマンガ描いている人がいて面白かったな http://twitter.com/sakstyle/statuses/825301396

SuzuTamaki

@sakstyle 自分の中だけで完結するっていうのは、別に楽な道じゃない。むしろ、許しと罰という責任を自分ひとりが背負うという苦行ではないのか。 *Tw*
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825301509

SuzuTamaki

自分の中だけで完結しちゃうっていうより、自分の中だけで処理しなくちゃいけない。 誰かが許してくれるから、とか、あの人はぼくに罰を与えなかったから、とかそういう責任転嫁への道を封じる。
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825301981

SuzuTamaki

今回のことに限らず僕の個人主義はとかく他者への責任転嫁を封じる必要性から生じている。国家論とかも。 *Tw* http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825302743

SuzuTamaki

他者から束縛されること、が必ずしも悪いことではない。でもそれは、束縛が幸福を生む場合において。すなわち、束縛されることで責任転嫁できて楽できる場合。 *Tw*
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825303879

sakstyle

@SuzuTamaki 楽じゃない。というよりも、それは過酷すぎて端的に不可能だ。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/825304164

SuzuTamaki

@sakstyle 不可能だからするな、ということですか。 *Tw*
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825308383

sakstyle

そもそも時間が不可逆でやり直しが効かない以上、起こったことを書き換えることは不可能。そういう意味で、罪は決して許されないし、責任全体を負うことも不可能。でもその不可能を、一次的に解除させるかのように錯覚させるから、「赦し」は尊い
http://twitter.com/sakstyle/statuses/825308953

sakstyle

@SuzuTamaki 「するな」というのは、可能なことに対していうことのできる言葉。不可能ことには、「せよ」とも「するな」ともいうことはできない
http://twitter.com/sakstyle/statuses/825309941

sakstyle

許されないし責任も負えないけれど、その人も周りの人たちにとっても生活は続く。だから、それ(責任を負うことと生活を続けること)が可能であるように錯覚させなければならない。それは明らかに、当事者本人だけで完結することではない
http://twitter.com/sakstyle/statuses/825311769

SuzuTamaki

@sakstyle 尊い…まあ確かに尊いですよね。ロマンはある。フィクションの中でロマンの供給源として機能する分には申し分ない。ぼくのいうコミュニケーションの快楽ってそういうことだし、黒沢だってフィクションだし。 *Tw*
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825312746

sakstyle

@SuzuTamaki ロマンじゃねーよ。加害者の生活も被害者の生活も、どっちもその後も続くんだから、それが続くようにしなきゃいけない手続なんだよ。
http://twitter.com/sakstyle/statuses/825314281

SuzuTamaki

@sakstyle 錯覚させなければならない、というのは、犯罪者を飼いならして無害化しなければならない、というふうにも受け取られるのですが。 *Tw*
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825314560

sakstyle

被害者から切り離された人間関係の中で、自己責任・自己完結的に罰がうまくいくっていうのは、やっぱりおかしい。被害者の生活が続いていることに、何の責任も負ってないんじゃないか、それは。そしてそのことは、加害者本人にとってものしかかること
http://twitter.com/sakstyle/statuses/825315644

SuzuTamaki

互いに譲歩し合って加害者と被害者が暮らす世界と、加害者と被害者が隔離されて暮らす世界と、どちらがよいかっていうのは確かに難しいな。 *Tw*
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825315983

sakstyle

@SuzuTamaki 「というふうにも受け取れる」というかまさにその通りで、人間と人間が一緒に生きていく場合には、そういう危険な部分をうまくなだめてやっていくしかないじゃない http://twitter.com/sakstyle/statuses/825317386

SuzuTamaki

@sakstyle うん、加害者が被害者に責任を負う、っていうことは不可能だと思っています。加害者が負うべき責任は、罪を犯したという事実に対する責任のみ。だって加害者は被害者の本当の苦しみなんてわかるわけないのだから。 *Tw*
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825317727

sakstyle

@SuzuTamaki 責任を負うことは不可能。でも、被害者に対してのそれと罪を犯したという事実に対するそれって区別できるの?罪を犯すって、当然相手のいることでしょ。罪の意識というのは、相手に対して感じるものではないの。相手のいない罪の意識はないと思う
http://twitter.com/sakstyle/statuses/825320681

SuzuTamaki

@sakstyle 被害者に対する責任っていうのは、被害者の苦しみに応じたリターンを与える責任ってことで OK ですか? 本当の苦しみがわからないと発生しない責任なのだからそういうつもりで言ったのですが。
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825322448

SuzuTamaki

罪を犯した事実に対する責任というのは、その罪が誰にも露見していない場合でも感じる責任です。そういう意味では、相手がいない。そして、その程度の罪は世界中の誰もが行っているだろう。
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825323047

SuzuTamaki

ルルーシュユーフェミアを扇動して大量の日本人を虐殺したという罪は、スザクに露見する前は誰にも知られていなかったけれどルルーシュはそれに罪の意識を感じていた。そういうこと。 *Tw* http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825323773

SuzuTamaki

そろそろ行かないと…でも重要なところだなあ。
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825324203

SuzuTamaki

ホーホケは恋愛観を考えるいい材料になるわけか。
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825324595

sakstyle

@SuzuTamaki まず、相手に対する責任というのは、そのことでok。つまり、原状復帰。でも、さっき言ったようにそれは実質的には不可能。だから、原状復帰が仮になされたとしてもそれは錯覚でしかない。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/825324903

sakstyle

@SuzuTamaki 誰にも露見していなくても、相手はいる。つまり、傷付けた相手がいる。ルルーシュが罪の意識を感じた相手は、スザクにばれようがばれまいがユフィ(と日本人やその他大勢)でしょ。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/825326152

SuzuTamaki

@sakstyle いや、死人に対する罪、ではない可能性があるのですよ。
http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/825327612

sakstyle

@SuzuTamaki 露見したとき、見た人に対して見られた人が感じるのは、罪ではなくてむしろ恥なのでは? 『菊と刀』読んでいないので、罪と恥をこう理解していいのかどうかは知らないが、俺の中の言語感覚ではそうだ http://twitter.com/sakstyle/statuses/825327670

sakstyle

@SuzuTamaki ルルーシュが誰に対して罪の意識を負ったかは窺い知ることはできないが、相手がいないということはないだろう。
http://twitter.com/sakstyle/statuses/825329465

sakstyle

相手のいない罪ってあるのか。罪というのは、相手を傷付けてしまうということだろう。そこから、「相手」をなくして「傷付ける」ことだけにフォーカスするというのは、あまりに抽象的すぎるというか思弁的すぎる気がする。
http://twitter.com/sakstyle/statuses/825331844

sakstyle

不可能なことや不可能なことを起こしてしまう奇跡が尊いわけじゃない。可能なこと、実践されていること、事実の方が尊い
http://twitter.com/sakstyle/statuses/825339931

sakstyle

この世の中が成り立っているのは不可能なことによってではない。この世の中が現に成り立っているのは事実で、それを成り立たしめているのは、実際に現実で行われている実践。
http://twitter.com/sakstyle/statuses/825341876

sakstyle

今ここにこの世界が成り立っているということは事実で、そしてそれが事実であるということは、畏ろしいことのように思える。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/825344803

tricken

@sakstyle なるほど、「許し」を形而上学的なものにしちゃったら、「許し」の価値がなくなっちゃうんですね。それは現実に有効な、驚異的行為である、と。
http://twitter.com/tricken/statuses/825353110

sakstyle

@tricken そうですね。僕はそういう意味では形而上学というのが嫌いなのではないかと。もしかしたら、それは哲学を(ほんの少し囓った程度ではあるけれど)学んだからかもしれない。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/825356462