歴史学・科学・「データでガツン」

min2fly

言葉で煽るのも好きだけど、研究においては有無を言わさぬデータでガツンと攻めて、言葉はむしろ控え目くらいの方が好きだったりする *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846939022

min2fly

「こんなんなりました。どよ?」「ざわ・・・」みたいな *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846939816

_Ag_

@min2fly データでガツンで寡黙ってかっこいいよねー。歴史はそういうの考古学くらいしかできないのかな。「史料」も文献だと客観的データだと言い切るのが難しいから。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/846945918

klov

客観的データでガツンという難しい。データは現状認識。その後どういう思索をすべきなのか、そこんところは言葉で煽る煽る煽る。 http://twitter.com/klov/statuses/846946554

min2fly

@_Ag_ 「こういう書簡があった」とか、帳簿類とかの新史料はガツンといけたりもするんじゃないかな?古代ローマだときつい気はするけど・・・あとは計量〜学的なのとか?? *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846946875

min2fly

中世の活版印刷本の、ページ内に字が収まりきらなくなった時に使う略字(?)の出現傾向から「この本の印刷には最低x人の職人が関わってた」とかを明らかにする研究があったが、ニッチ過ぎるか? *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846948542

_Ag_

@min2fly 帳簿系はいけるかも。あとは出版の意図なく市民がメモ程度に書いてたものとかの方がいいのかな。文献史料は出版の意図があった時点でその中身をストレートに信用できないようなところがある気が。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/846956049

klov

客観的なデータ、など存在するのかどうか怪しい。多分相当少ない。 http://twitter.com/klov/statuses/846959135

klov

故にデータだけで何か意味を持つことは出来ず、必ずそこに誰かが意味を持たせねばならない。当たり前だけど。 http://twitter.com/klov/statuses/846960100

_Ag_

@klov 統計やグラフも何も証明しませんよ、という話はよく。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/846961279

sakstyle

@_Ag_ @min2fly 「データでガツン」の意味が、微妙に分かりかねてる。歴史学でいうならば、新史料の発見とかか。でもそもそも、史料の「発見」って歴史学の仕事なのか? http://twitter.com/sakstyle/statuses/846961658

sakstyle

@_Ag_ 書いた人間の意図の有無と「データでガツン」がどう関係しているかが分からない。仮に、新史料の発見が「データでガツン」であるならば、別にそれが出版物か否かって関係なくね? http://twitter.com/sakstyle/statuses/846962400

klov

@_Ag_ もちろんmin2flyの言うように議論の中でデータがそれだけで反論になることは、あると思うけど。 http://twitter.com/klov/statuses/846963319

_Ag_

@sakstyle いや、史料の発見は、私は「データでガツン」とは思いません。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/846963445

klov

単純な生データとコンテクスト上のデータの意味は違う。 http://twitter.com/klov/statuses/846963921

sakstyle

@_Ag_ じゃあ「データでガツン」ってどんなもの? 歴史学にはない、ということなので、歴史学で例を出せ、というのはよくないかもしれないが。じゃあ、考古学だったら? http://twitter.com/sakstyle/statuses/846966101

_Ag_

@sakstyle ここでは採れないもので作られたものがある、とかになるんじゃないかな、と。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/846968328

sakstyle

「データでガツン」というのは何か。まず、何らかの仮説があって、その仮説では○○というデータが得られるはずなところ、実際には××というデータが得られて、仮説が反駁される、というようなことか。ということは、歴史学において、仮説とデータって何だ?ということになるのかな http://twitter.com/sakstyle/statuses/846969037

sakstyle

歴史学だけでなく、人文科学にとっても http://twitter.com/sakstyle/statuses/846969503

sakstyle

@_Ag_ そうだとすると、何故「新史料の発見」は「データでガツン」にあたらないのでしょう。今まで存在すら仮定されていなかったものが出てきたら、それは何らかのインパクトをもたらすと思うのですが http://twitter.com/sakstyle/statuses/846970890

shalom_rajendra

@sakstyle 歴史学で「データでガツン」は難しいね。言うなれば「蓋然性の高い小さな物語の積み重ね」が歴史学の営為だから。 http://twitter.com/shalom_rajendra/statuses/846970940

klov

@sakstyle そうだと思う。社会学とかだと、データ:凶悪な少年犯罪が増加している。 仮説:少年が凶悪化している というのがあったとすると、データの部分が間違ってると仮説も妥当性を失う http://twitter.com/klov/statuses/846971856

_Ag_

@sakstyle 「史料」によると思います。「新史料の発見」とくくって話を進めると難しいです。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/846974327

sakstyle

@_Ag_ 史料の存在そのものは、データとはいえないの? 例えばさっきの @klov の例であれば、少年の凶悪犯罪の存在(ないし不在)が意味を持つわけだけど。うーん、しかし難しいなあ。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/846977509

sakstyle

データってそもそも何だって話だな。情報か。ある種の科学や研究におていは、データを提示することだけで意義を持つが、別種の科学や研究では、データを提示することだけでは意義をもたない。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/846978934

_Ag_

実話とされてる文献史料の中身を「この時期にこの場所でこの動物は生きられない」とか「これだけの日数じゃどう頑張ったってこの人数の軍隊はここまで進めない」とか、物理的不可能を指摘してくことがデータでガツンにあたるんだろか。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/846979173

klov

データの提示って「提示」という行為がどういう意味を持っているのかでデータの持つ意味も変わると思う。誰が誰にどういう文脈で提示するのか http://twitter.com/klov/statuses/846980671

sakstyle

@_Ag_ なるほど、そういう類の研究ってあるね http://tinyurl.com/62garv http://twitter.com/sakstyle/statuses/846981399

klov

歴史学における「データ」「資料」に意味を持たせることの難しさは南京大虐殺なりなんなりでよく分かる。 http://twitter.com/klov/statuses/846982416

_Ag_

@sakstyle 新史料の話だと、個々の事例にどこまで意味を持たせるか、みたいなことを考えちゃいます。1通書簡が出てきても、当時作れたはずの書簡集コンプリート BOXの全体で考えないと意味ないんじゃないか的な。どんな研究分野でも一緒だとは思うんですけれど。そしてキリないですが。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/846983520

min2fly

データでガツン=データ的裏付けがない状態で流布している仮説(「凶悪犯罪が増えている」とか、「レファレンスサービスは図書館専任職員の役割である」とか)を反証するデータを示してみせること、あるいは逆に従来と異なる仮説を立ててその仮説をデータが立証することを示す、とか *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846985649

sakstyle

@_Ag_ 「当時作れたはずの書簡集コンプリート BOX の全体」というのが、さっき言ったところの「仮説」にあたるかなあ。そういうのが想定されるのは、他の学問も一緒だよね。では何故、歴史学では「データでガツン」は成立しにくいのか。あるいは成立しないのか。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/846986090

klov

@sakstyle 歴史学だとデータに一元的な意味を持たせるの難しそう。複数の解釈が可能なものばっかりというか。 http://twitter.com/klov/statuses/846987321

sakstyle

@min2fly 何故それが歴史学だと難しいのか。というか、それが出来なかったら、研究として進んでいかない気がする。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/846987434

sakstyle

また、 @klov が言うように、データはデータそのものではなくそのコンテクストが重要であるがために、「データでガツン」が困難だとすると、何故それは歴史学(ないし人文科学?)固有の問題となるのか。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/846988180

klov

というか歴史学じゃなくてもそうだけど。犯罪の話だってデータの取り方いかんで変わってくる。みんな警察発表とかマスコミの報道簡単に信じちゃダメだぞ☆ http://twitter.com/klov/statuses/846989317

min2fly

@sakstyle 歴史学は過去に起こった事実を扱う(本当はその先がある、と自分は考えているが)ので再現性がないから。自然科学は当然再現性が求められるし、人間を扱う学問だってある条件下で同じサンプルをとったら結果がある程度再現できるが歴史は再現とか無理だし *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846992646

min2fly

だから個々の戦場とかを扱うのではなく、一般化した真実を取り出そうと思うのなら歴史学だってデータガツンは出来る気がする *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846993418

_Ag_

。o ○(自然発生的なモノや状況はほとんど残ってないし、人の書き残した言葉はときに嘘をつくんだもの♪) http://twitter.com/_Ag_/statuses/846993952

min2fly

「蕎麦を主食とする地域では文明は生まれない」とかなら世界中の主食の変遷を探っていけばデータでガツンできるが、問題はその世界中の主食の変遷を辿るプロセスが面倒なことか *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846994949

klov

南京にせよアウシュヴィッツにせよ、あそこらへんのそもそも見た人が殺されちゃった問題はアガンベン的な形で解決するしかないのかね http://twitter.com/klov/statuses/846995667

sakstyle

うーん、今自分が何を気にしているのか、というと、自然科学と歴史学の相違は、扱っている対象の違いによって生じているのか、そもそもの手法や本質の違いによって生じているのか http://twitter.com/sakstyle/statuses/846995958

klov

@sakstyle 対象が違うから手法が異なるのでは http://twitter.com/klov/statuses/846996946

sakstyle

@min2fly 「データでガツン」が、仮説への反駁を意味するのであれば、データに再現性があるかどうかはそれほど重要なこと? 「蕎麦を云々」も再現性なくないか http://twitter.com/sakstyle/statuses/846997188

min2fly

@sakstyle 確かに、もう一度同じシチュエーションを用意して試す、ってのが出来ない点では再現性ないね。事例数を集めることで新しく再現することは出来ないところを過去再現している、として補っているとも考えられるが、他の条件も考慮に入れないと *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846999796

min2fly

まあ、もともと量的調査は実際には条件を統制できてないところを数を集めることでなんとかしているし、そもそも人間に関する研究は要因多すぎて「条件を揃える」ということが出来ないから純粋科学的な0か1か的な真実は見出しにくい *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847001205

min2fly

もちろん自然科学もそうだが、データ上AがBという事象の原因であるように見えても、実際はAの裏にあるCがBの原因かも知れない。そこについては相関とか統計だけではない論理が必要になってくる *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847002886

_Ag_

@min2fly そんなようなこと『生物と無生物のあいだ』で言ってた。(野口英世の失敗例とともに) http://twitter.com/_Ag_/statuses/847004081

sakstyle

@_Ag_ その本は読んでいないが、あの作者の人は、爆問学問で、ヒュームばりの因果律への懐疑を口にしていたような気がする(うる覚えだけど) http://twitter.com/sakstyle/statuses/847008514

min2fly

@_Ag_ うちは統計系の授業で口を酸っぱくして言われた。回帰分析も相関も、モデルを作るところまでは行っても仮説(論理)がなければ研究にならないとか *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847006485

sacon

@sakstyle E.H.カーの『歴史とは何か』は読まれたことあります?あれまさにそのテーマを延々と書いてますよ http://twitter.com/sacon/statuses/846998273

sakstyle

@sacon タイトルは聞いたことがあるのですが、未読です。ありがとうございます。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847003242

sacon

@sakstyle たしか一応話し言葉で書いてあってそれなりに読みやすかったです。結論的な主張は忘れてしまいましたが(^^;)、いろいろな論点や疑問についてかなり詳細に検討していました。 http://twitter.com/sacon/statuses/847006327

sakstyle

というか、「データでガツン」が出来ないのであれば、歴史学って何やってんの、とも思いたくなる。「人は嘘をつく」として、その嘘を検証するのが歴史学であるのであれば、それは「データでガツン」をやることなのでは? http://twitter.com/sakstyle/statuses/846998793

klov

@sakstyle の釣りに歴史学やってる人は釣られねばならない。 http://twitter.com/klov/statuses/846999773

sakstyle

ここでいう「データでガツン」を単純化して整理するならば、仮説→仮説を支持ないし不支持するデータの提示→仮説の定立ないし反駁、ということになる。自然科学はこれを行っている(ことになっている)。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847001221

sakstyle

さて、歴史学においては、データが、「嘘である可能性」「コンテクストが重視される」「再現性がない」などの理由により、前述の仮説を支持・不支持するようなものにならないらしい。あるいはそれが困難らしい。だとすると、歴史学は前述したこととは別のことをしている営みだということになる。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847002602

klov

@sakstyle 別の営みではないのでは。あまりすっぱりキレいに線をひけるもんじゃない。容易ではない、だけで。 http://twitter.com/klov/statuses/847004194

_Ag_

@sakstyle 私はあんまり嘘を検証するのが歴史学、と思わないので・・・。(それは私が古代史やってるからだと思いますが。) http://twitter.com/_Ag_/statuses/847001973

sakstyle

@_Ag_ じゃあ、歴史学って何なの? 史料が「嘘かもしれない」から、本当か嘘か調べていくわけではないの? http://twitter.com/sakstyle/statuses/847005058

klov

証言が嘘かもしれないし、コンテクスト次第で意味が変わるかもしれないし、再現性がないかもしれないがそれでも仮説の立証やめたらそれ学じゃねーだろと思う。そしてまさか歴史学がそんな放棄をしているとは思えない http://twitter.com/klov/statuses/847005523

min2fly

科学(あるいは学問)において「証拠」足りうるのは・・・なんだっけか、データ、論理、それに厚い記述、だったか確か http://tinyurl.com/5vvfkm *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847009874

min2fly

社会現象と自然現象の最大の違いは、その現象の構成主体あるいは構成物の「意図的行動」によって現象の流れが変化するか、どうか。 (先のソースより) *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847010575

min2fly

一次史料=同時代人の手によるナマモノ(書簡とか)、二次史料=後世の人の手による編纂物(ヘロドトスの『歴史』とか) by Wikipedia *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847012732

sakstyle

@klov 歴史学と自然科学が、仮説の検証という点で同じ営みであるのならば、その両者の違いは、対象の違いのみ、ということになる。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847013835

klov

@sakstyle ただ仮説の検証の仕方が異なると思う。限界の違い、というか。 http://twitter.com/klov/statuses/847014688

_Ag_

あうー・・・古代の文書だとそれが「嘘かもしれないから本当か嘘か調べていく」とか泣けてきてしまいます。現代史だと違ってくるかもしれませんが。なので歴史学の中の分野やスタイルによっても差があるので一概にはなんとも・・・。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/847015365

sakstyle

@klov @_Ag_ しかしもし、「対象の違いのみ」であるとするならば、何故これほどまでに「「データでガツン」は困難」と言われなければならないのかよく分からない。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847015549

_Ag_

古代だと「史料」の内容そのものより、その「史料」が書かれたというその事実自体の方がデータになり得たり。史料の内容の真偽に議論の余地があることは承知で。となると場合によってはそこからは文脈付けの言葉勝負になりがちに・・・? http://twitter.com/_Ag_/statuses/847016384

sakstyle

つまり、データから仮説を検証するのって難しいよね、って話なら、別に歴史学に限った問題ではないでしょ、ということ。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847016822

min2fly

@sakstyle 単純に仮説検証するデータ取って来づらいからかもね。昔の人にアンケート取るわけにもインタビューするわけにもいかんし。 *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847017213

sakstyle

@_Ag_ 僕が「新史料の発見」は「データでガツン」にならないの? と問うていたのは、そういうことなんだけど。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847017452

klov

@sakstyle 何度も言うがまぁ難しさのグラデーションの問題では。だから「歴史」がどうであったかとかあれだけ紛糾するわけで http://twitter.com/klov/statuses/847018281

_Ag_

@sakstyle あ、本当ですね。・・・でも「ガツン」ではない気が・・・するんですよ。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/847020438

min2fly

もちろん、事実ならデータ取ってこれる(炭素の分解状況で年代同定とか。あれも相当誤差あるが)が、歴史学で本当に知りたいだろう「なぜ?」の部分は、つまるところ人の意図であるので、なかなか過去にさかのぼれない *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847018681

min2fly

何が一次史料(資料)で何が二次史料(資料)かは分野によって扱いが変わるので面白いが大変 *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847014213

klov

@min2fly そこを面白いといえるのが図書館学徒とたる所以かしら http://twitter.com/klov/statuses/847015217

min2fly

@sakstyle 「新聞でどう報道されたか」の方を見るんであれば一次資料だろうね。さっきのヘロドトスの話も、知りたいのがヘロドトスが記述対象とした過去の歴史でなく、「なんでヘロドトスがこう書いたのか?」とかなら当然『歴史』が一次史料になる *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847019604

min2fly

で、明らかにしたいものの中に人の意図が含まれると、途端に人のつく「嘘」の問題が浮かんで史料が信用できるか検証しないといけなくなったり、捉え方によっては色々な切り口があったり・・・ *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847021955

min2fly

「こんな史料があったぜ!」「そいつが一人で言ってるだけじゃねえの?」「っていうかそれ偽書じゃね?」 *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847023176

_Ag_

歴史学上のデータは『ぱっと見の説得力』が発揮しづらい」・・・。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/847023509

min2fly

まあでも、それは大量データ系だって一緒だけどね。「こんな結果になったぜ!」「サンプル偏ってるんじゃねえの?」「質問紙のつくりのせいじゃね?」 *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847024098

klov

「こんなデータがあったぜ!」「それ観測スパン短すぎじゃね?」「っていうかそれガセじゃね?」 http://twitter.com/klov/statuses/847024584

sakstyle

@min2fly いやちょっと待て。さっきから何度も気になっているのはそこなんだよ。データの検証が必要になったり、データの解釈に差異があるのは、それが「意図」や「嘘」が絡むからなのか? 自然科学だってありうることではないのか。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847024589

sakstyle

@klov のいう、「難しさのグラデーション」というのは納得できる。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847024958

klov

データの取り方の難しさはアンケートの質問紙一回作るとよく分かる。そして行政のアンケートとか調査がいかにクソかがよく分かる。もちろん民間は論外。 http://twitter.com/klov/statuses/847025361

min2fly

@sakstyle もちろん自然科学だって検証/解釈の際はあるが、そもそも自然科学は(一部除き)「人間の意図」が対象に含まれない。かつ、多くの場合検証の方は実験繰り返せば出来る。 *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847026289

min2fly

Aって実験環境でBって結果になった、は同じ環境用意すりゃすぐ検証できる。Aって手紙を書いた人が嘘書いたかどうかをもう1回やってもらうことはできない *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847027912

min2fly

あと人の意図に関する部分はAさんにあてはまったことがBさんにあてはまるかわかんない。条件同じに出来ないから *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847028645

sakstyle

@min2fly どうして嘘を書いたかは調べられないけど、それが嘘であるかどうかは、調べられるでしょ http://twitter.com/sakstyle/statuses/847028992

min2fly

@sakstyle でも最終的に知りたいのは「どうして」の方ではないの? *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847029973

_Ag_

@min2fly 条件同じにできないのに、「Aさんがこうであったように、似たような状況にいたCさんもこうだったのではないだろうか」的な推論が結論になりうる気がする。歴史。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/847030538

min2fly

@_Ag_ それをやっちゃうのが社会科学や人文科学というか、条件がまったく一緒には出来ないから絶対あてはまるとは言えないけど、条件揃えてない状態でもこれくらいの割合であてはまる・・・って話をすることになる *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847031711

sakstyle

@min2fly そこが難しい、というか、歴史学とは何か、ということの本質的な問題だと思う。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847032176

min2fly

いや実際には自然科学でもそこら辺の話はされていると思うけどね。 *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847032729

klov

@_Ag_ @min2fly 社会科学はそこら辺のきわどさを質的調査と量的調査の相互補完でどうにかしている。が、歴史学はちょっとそれ難しそう。 http://twitter.com/klov/statuses/847033346

min2fly

@sakstyle 因果関係を明らかにしようという営みであることは科学(学問、かは微妙)の必要条件かと思っていたが。記述的真実だけでいいってことはあるまい *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847034144

_Ag_

@min2fly だから「ガツン」になるかどうか、という・・・程度の問題。私は「ガツン」にならない気がしている。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/847034175

_Ag_

(というかどこから「ガツン」と言えるのか、って話だけど) http://twitter.com/_Ag_/statuses/847034987

sakstyle

つまり、歴史学にとって「データがガツン」が困難であるのは、単に統制すべき条件が大きすぎるという量的な問題であるのか、そもそも「人の意図」が絡んでくるので質的に異なってしまうのか。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847034725

min2fly

@sakstyle 「人の意図」は歴史学に限らず社会科学・人文科学共通のところではあるので、それ以外に困難さがあるとすればやはり統制の問題では *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847036001

min2fly

あれ、よく考えたら自分は歴史学も「データでガツン」いける派じゃなかったっけ?? *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847036493

sakstyle

@min2fly 因果関係にしても、「人の意図」抜きの記述が可能かもしれないし、あるいは歴史学は因果関係を問わないのかもしれない(俺は歴史学をやっていないので分からないけど)。だとすると、やはり歴史学と科学は別の営みである、ということになる http://twitter.com/sakstyle/statuses/847036539

min2fly

@_Ag_ その点では社会調査系も人によっちゃあ「ガツン」じゃないと言われたり(爆) *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847037385

min2fly

@sakstyle まあ歴史学も"Humanities"だしね。別にすべからく科学である必要はない *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847038732

_Ag_

E.H.カー『歴史とは何か』が手元にある。この本にはそのときどきの歴史学の「流行り」みたいなものも書いてある。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/847039062

sakstyle

@min2fly だから、今回は歴史学を例に挙げたけど、人文科学全般の問題であるような気はする。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847039314

min2fly

@sakstyle 人文科学は別に科学って名乗らなくていいというか、日本で"科学"って言われてるけどHistoryもHumanitiesもScienceとは違う営みだよね。文学とかは科学でないことに自負があるとも思うが・・・ *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847041046

_Ag_

やっぱり、データでガツン系は「歴史家は、歴史の『補助科学』と呼ばれてきたもの―考古学、金石文学、古銭学、年代学など―を頼りにすることができるのです」(カー)の補助科学の方かも。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/847042276

min2fly

@_Ag_ そこに計量文献学とかがそのうち入ってきてくれることを期待したり。古文書に出てくる文字をクラスター分析v *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847044408