早稲田文学10時間連続公開シンポジウムまとめ

klov

昨日の早稲田文学のイベントの感想でもつぶやくかな。ブログに書くのめんどいというか10時間分も書けやしない。 http://twitter.com/klov/statuses/967221970

klov

とりあえず朝10時について会場入ろうとしたらフラコジ坂上さんが先頭近くにいてびっくり。本当に朝五時から門の前にいたらしくて二度びっくり。 http://twitter.com/klov/statuses/967222814

klov

pod1「文芸メディアの現在」。まず席順がPLANETS宇野とエクス・ポ佐々木が隣り合ってる時点で何か仕込みを感じる。中森明夫曰く「佐々木が宇野を殴るとかそういうイベントあるのかと思った。」 http://twitter.com/klov/statuses/967224402

klov

pod1はメディアの話なので、かなりメタメタした議論というかポジショントークみたいのが割と主だった。言論の場を作るという方法論で見ると、宇野は自分と東の違いをメディアのジャックの仕方の違いといっていたが、まぁ確かにそういうことなんだろう。 http://twitter.com/klov/statuses/967226597

klov

東は人と言説を交わす、議論するというのは、言説の精度を上げるためではなくもう言説のモチベーションを作るためのものと言ってた。飲み会なんかも。だから言説の対立が必ずしも前景化しない。 http://twitter.com/klov/statuses/967228250

klov

人と会うの大事だよ、燃料注ぐの大事だよと言っていた東が「大塚さんには会わないのがベストだと分かった」という締めで終わったpod1。かなりgdgd フラグ。 http://twitter.com/klov/statuses/967229124

klov

ところがpod2はめちゃめちゃ面白かったから不思議。ひとえに渡辺直己の射程の広さだと思う。 http://twitter.com/klov/statuses/967229565

klov

pod2は「日本小説の現在」。渡辺直己が冒頭自分が物を書く理由は高橋源一郎を殺すためだ、と宣言。いきなり釣る。小説家をキャラ化して文を売っていくというやり方が気に食わないらしい。 http://twitter.com/klov/statuses/967231156

klov

渡辺は物語と語りと描写のうち現在は物語のネタがつきて描写が抜け落ち語りが前景化しているという。東はそういうのは昔は前衛だったのが今むしろスタンダードになってるよね、と。 http://twitter.com/klov/statuses/967233390

klov

基本、ここの対立していないようでしている対立がベースに議論が進んでいった気がする。大森望も結構面白いこと言ってた気がするんだけど忘れちゃった。 http://twitter.com/klov/statuses/967234131

klov

渡辺は大江の最新刊を褒めてたな。語りの前景化した小説へ、きちんと目配せしてたから、とか。それが自分も下の世代の動きについてくモチベーションになっているらしい。佐藤友哉の「バックベアード」はギタギタにぶったぎってたけど。「最低」の一言で終了。 http://twitter.com/klov/statuses/967237862

klov

ああそうだ大森さんは、文学と言ったときにじゃあなんで東野圭吾とかそういうすごく売れてる人があまり批評の俎上に乗ってこないの、と言ってた。「なぜ〜をやらないのか」「〜が欠けている」という指摘は誰でもイージーに出来ちゃう面があるからあまり好きではないけど言う人の説得力はあるよね。 http://twitter.com/klov/statuses/967239956

klov

あと新城カズマは長い髪の毛とヒゲ、メガネが絶妙にあってて渋くてかっこよかった。以上。 http://twitter.com/klov/statuses/967240448

klov

休憩時間はエクストラポッド。飯を買いに行って戻ってきたら何故か壇上をゼロアカ組がいた。最初は門下生だけだったけど道場破りも呼ばれてた。壇上の様子を藤田さんが伝家の宝刀ザクティで撮り、Muichkineがそれに向かってピースするという惨劇が起こった。 http://twitter.com/klov/statuses/967241764

klov

東「第五関門はシンポとか言ったけど、これじゃ心配だわ…。」確かに。 http://twitter.com/klov/statuses/967242054

klov

エクストラポッド第二弾は「ネオリベ化する公共圏」の花崎さんが早稲田入学式の不当逮捕についての話。集めた署名は大学にペンディングされてるらしい。早稲田で非常勤もやってるらしい前田塁が、花崎さんの方法論に疑問を突きつけていた。 http://twitter.com/klov/statuses/967243783

klov

まぁ端的に外側から変えていこうとする人と中から変えていこうという人の違いで、環境が変わっているので後者の方がぱっと見は優位に見えた。 http://twitter.com/klov/statuses/967244335

klov

pod3は「文芸批評の今日的役割について」。大澤真幸のパーマが以前見たときよりさらに細かくチリチリになっており、芸人に転向したとしたか思えないようなパンチパーマになっていた。その後の議論の低調さを鑑みると、もはや出オチ。 http://twitter.com/klov/statuses/967245828

klov

pod3は福田和也と大澤が議論をたびたびちゃぶ台返しするので、途中参戦のスイマーに負けてところどころ記憶がない。気づいたら何故か話が後藤和智問題、別名「エビデンス問題」になっていてびっくりした。 http://twitter.com/klov/statuses/967247114

klov

ここで大澤が「私も社会調査士の資格持ってるんです」と衝撃の発言。知らなかった。「社会調査士なんてそんなもんだということを体現するために取った」ああなるほど。説得力ありすぎです先生。 http://twitter.com/klov/statuses/967248310

klov

東はいわゆる統計的な、数字の見える言説がそうでない言説を駆逐することに危機感を覚えている。大澤や福田は「スルーしろよJK」。正直東は気にしすぎ、もっと言えば東スレ見すぎなので、大澤や福田の言い分がまっとうだったような気もする。 http://twitter.com/klov/statuses/967249643

klov

pod4は「読者と小説」。サブタイトルが「批評と書評、文学賞」と付いており、pod1同様メタメタした話になるかなと思ったらそれ以上だった。突き詰めると千野帽子豊崎由美中森明夫による業界内の世間話。 http://twitter.com/klov/statuses/967251536

klov

千野は新聞や雑誌の書評が文字数が少なくまた扱える本も新刊ばかりなのを非常に不満に思っていたらしい。豊崎は私は仕事を選んでます!書評はネタバレしません!。どっちも結局自分の話。 http://twitter.com/klov/statuses/967253237

kingworld

大澤真幸は思想地図の論文を全部読んで「歴史的な知の蓄積」がないな と思ったらしいけど、それは厳しすぎる… いや、あまり面白くなかったのは確かだけど。 http://twitter.com/kingworld/statuses/967256205

klov

@ kingworld あ、言ってた言ってた。東は「とりあえず左翼臭を払拭することに腐心した」と言っていたから、まあそういう面もあるんだろうね。 http://twitter.com/klov/statuses/967259134

klov

中森明夫に至っては「蒼井優可愛い」「夏帆可愛い」しか言っておらず、ゆえに最も素晴らしかった。いやー可愛いよね。 http://twitter.com/klov/statuses/967258281

klov

そしてエクストラプログラム。壇上には阿部和重東浩紀、司会の前田塁だけが座っていた。若干照明が暗く、よくわからないムードが演出されていた。 http://twitter.com/klov/statuses/967260403

klov

阿部「俺は東に一方的に嫌われてただけだよ……」東「お前の方から冷たくなったんじゃないか」阿部「違うだろ、そっちからだよ」東「なんか付き合ってたみたいじゃん」阿部「いやー俺はちょっと付き合ってるんじゃないかこれと思ってた時期もあったよ」。オナカイッパイデスセンセイ。 http://twitter.com/klov/statuses/967261893

klov

阿部と東の間についてはよー知らないのでここの文脈の外のことはわからない。とりあえず阿部は動ポス2で自分が自然主義に転向した古いやつ、と記述されたと思っていたらしい。いわゆる「抵抗勢力」だと。 http://twitter.com/klov/statuses/967263589

klov

東はそれはあくまで例として出しただけ、と言うのだが、阿部は言われたほうとしては自分の中である程度の重みを持ってしまう、と言っていた。……どうやっても痴話喧嘩みたいにしか説明できないな。おかしい。 http://twitter.com/klov/statuses/967264699

klov

東「今年は僕の和解の年だから」阿部「どうしたの?もしかしてガンとかで死ぬんじゃないかと思って今日来たんだけど」東「僕も大人になったんです」阿部「そもそも絶交すんなよwww」東「……。」 http://twitter.com/klov/statuses/967266297

klov

イケメンセクシーボイスな阿部の圧勝でした。勝ち?まいいや。 http://twitter.com/klov/statuses/967266733

sakstyle

@ klov いや実際、動ポモ2での阿部和重の出し方は、不可解というか何というか http://twitter.com/sakstyle/statuses/967267587

kingworld

@ klov 昔仲良かった(東の実家に行くくらい。たしか。)けど、東が文壇から距離とりだしてからも阿倍はフツーに活動して05年には芥川賞とったりしたから( ゚ д゚)ドカンー みたいな。 http://twitter.com/kingworld/statuses/967269007

klov

@ kingworld 確かに東の文壇への距離の取り方と、今もう一度そこへ回帰していることへの違和感みたいなものは表明してたね。 http://twitter.com/klov/statuses/967269992

klov

pod5の総論は各自の感想程度だったのでまぁ。出演者の中で唯一の純然たる編集者だった山本充が「ダメな編集者をどうにかせい問題が後のpodで良く出てきて耳と心が痛かった」と言っていた。確かに編集側の話ももちっとあってもよかったような。 http://twitter.com/klov/statuses/967269128

klov

pod1補足。質疑応答でエクス・ポの編集者が「批評家としての宇野は読むに耐えない」発言をして会場騒然。早速パネリストから「佐々木敦の刺客」疑惑が出て佐々木が否定という茶番が繰り広げられる。 http://twitter.com/klov/statuses/967271425

klov

宇野のまとめ方が雑なんじゃないかという発言だったのだけど、宇野は宇野でその言い方もまた雑、とカウンター。まぁちょっと言い方がひどかったよね。 http://twitter.com/klov/statuses/967272349

klov

pod1補足その2.宇野はPLANETSの部数を2500-3000と言っていた。この後伸びてもMAX5000で、それ以上はやる気がない、自分たちで回せる範囲を超えると。 http://twitter.com/klov/statuses/967274894

klov

そういう自分たちのメディアで文章を載せてまわしていくスタイルがもっと起これば良いと宇野や佐々木は言い、中森はけれどそれはそういうことをするインセンティブが少ないのでは、そう出てこないよと突っ込んでいた。 http://twitter.com/klov/statuses/967276096

klov

東はゼロアカとかやりたくてやってんじゃねーよとか言ってたが、要は後進の育たなさ、周囲の育てる気のなさ具合に飽きれている。 http://twitter.com/klov/statuses/967277276

klov

そこらへんは対立ではなく危機感の違いというか。 http://twitter.com/klov/statuses/967278052

klov

あ、あと東は自身の小説「ファントム・クォンタム」が他のパネリストから言及されるたび、苦笑していた。小説家としての東浩紀は批評家としての東浩紀に言及されたくないらしく、したがってファントム・クォンタムについてはコメントしたくないらしい。 http://twitter.com/klov/statuses/967279910

麻生首相誕生→konatyan死亡フラグ

konatyan

というか、麻生太郎が総理になったら余波で私が過労死してしまうので勘弁して欲しい。 http://twitter.com/konatyan/statuses/905745231

konatyan

1.教会内での保革の対立化が先鋭化する。今でも十分きついのにこれを機に保守側が巻き返しをかける恐れ大。倫理、政治、法分野での調整が必要だけど、神学車内での基礎研究が不足。→私の仕事ですか、そうですか。やりゃいいんでしょ、私が。 http://twitter.com/konatyan/statuses/905750133

konatyan

2.教会の露出が政治分野を中心に増える恐れがある。基本的な内容に関して教会外への説明をする必要が増す。ここ二、三十年の神学の傾向として一般向けの啓蒙を捨ててきたため、この方向でも準備が要る。→これも私の仕事か!? http://twitter.com/konatyan/statuses/905752078

konatyan

3.1と2を合わせた問題として、明治期からの教会と国との関係についての説明が必要になる。特に焦点となるのが靖国憲法改正について。→明治期から現在までの日本の教会史の研究が必要→これまた誰もまだやってないので、これも私の仕事。 http://twitter.com/konatyan/statuses/905753755

konatyan

4.麻生氏が総理になった場合、これは米国の大統領選とも関係するのでなんともいえないけれど、中国に対して信仰の自由をめぐって揺さぶりをかけるのは必須。正直、それにあわせて日本の教会にバチカンから梃入れが入るかも。 http://twitter.com/konatyan/statuses/905755637

konatyan

まとめると、教会内で活発な政治活動をしてる左派グループの露出が余計に増え、それに前々から不満を募らせてる保守派のパージが本格化、教会の外の野次馬含めて教会がわやになる恐れがあるので何とか調整しないといけない。だけれども、その方面(政治、法、倫理)に関しての基礎研究がろくにない。 http://twitter.com/konatyan/statuses/905757613

konatyan

いちよう前から準備は始めてるのだけど、間に合わない。 http://twitter.com/konatyan/statuses/905759052

konatyan

麻生さんの書いたものを読んだことないので判断しかねるけど、吉田爺の懐刀だった田中耕太郎の影響がないわけがない。 http://twitter.com/konatyan/statuses/905761298

konatyan

今回ばかしは教会という狭いコップの中だけで終わって欲しい。 http://twitter.com/konatyan/statuses/905767910

konatyan

@klov 端的に言うと私の研究領域が偏屈な物好きの血迷い事から、必須の最新研究領域に一夜で変わる恐れがあると言う事です。 http://twitter.com/konatyan/statuses/905771822

アッーな正夢

monado

ところで昨日、thinkeroidに大変な目にあわされる夢を見ました。詳細はとてもじゃないが書けません。 http://twitter.com/monado/statuses/901817770

thinkeroid

@monado 書いて良いよ。それ夢じゃないから。 http://twitter.com/thinkeroid/statuses/901818578

monado

@thinkeroid 後悔しますよ? http://twitter.com/monado/statuses/901820582

monado

というか、俺の人格が疑われてしまうので、書けないな http://twitter.com/monado/statuses/901825234

monado

シャワールームに行ったらthinkeroidがいて、アレされてアレされるという夢を見ましたね。以上、体調が悪いと悪夢を見ることで定評のある monadoでした。 http://twitter.com/monado/statuses/901832002

thinkeroid

まあたしかにいま私はリアルでツナギをきて前は全快なわけだけども。 http://twitter.com/thinkeroid/statuses/901833284

批評と普遍性

tricken

「感性が阻害されない」の面白いところは、まるで道具なしで発揮される感性が優れたものであるというナルちゃんな前提が含まれるところだ。「感性が高められる」ならまだしも。 http://twitter.com/tricken/statuses/896130902

tricken

道具誉めをダシにして自分を誉めるのは危険だよ、ということか。 http://twitter.com/tricken/statuses/896131409

tricken

命題「批評はあらゆる人に必要だ」は、実は命題ですらない。必要云々は価値命題である。しかもアフリカの部族の儀式や口承文芸に批評が必要とも思えない (別の知性、別のシステムが働いているはず)。 http://twitter.com/tricken/statuses/896134680

tricken

批評というのは礼拝的価値がなくなって芸術が市民芸術になっていった時代から、芸術の価値を決定するために必要になった社会的行為であり、したがって宗教的な普遍概念がその共同体の美をも定義しているなら批評は必要ないのではないか。 http://twitter.com/tricken/statuses/896137728

tricken

批評家の誕生ってまさにヨーロッパ近代の市民芸術が可能になった時代に起きたんだろうし、それ以前の批評は宗教的美とない交ぜになっていただろう。その地域性を無視して批評を普遍というのは誤り。 http://twitter.com/tricken/statuses/896140639

tricken

哲学が普遍だというのも、ギリシャ・ローマ・キリスト教を近代以降に持ち越したローカルな一思想ですよね。理性を前提にすれば確かにそうかもしれないが。デファクトではあるが唯一ではない。 http://twitter.com/tricken/statuses/896145585

tricken

哲学が普遍ならなぜアフリカやアジアに同様の思想が生まれなかったのか。気の哲学や精霊崇拝はなぜ観念論哲学を(これだって普遍とはいいがたいが)産み出さなかったのか。哲学が普遍ならそれはなぜ他の思想と違い普遍にアクセスできたのか。よくわからんよ。 http://twitter.com/tricken/statuses/896151768

tricken

というわけで、論理を尊びつつ善と美を称賛するというギリシャ・ヨーロッパ的伝統に批評が従属しているのだとすれば、それが普遍にもアクセスしているという傲慢は一旦据え置かなければならない。 http://twitter.com/tricken/statuses/896154668

tricken

一般と言うとき、それは必ずしも普遍を意味しない。一般は「個人にとどまらない」ということで、普遍まで踏み込まない。一般人と言った時にアフリカの部族を持ち出すのは卑怯だが、普遍を語る人にアフリカの部族を持ち出すのは失礼にあたらない。 http://twitter.com/tricken/statuses/896158258

Anklang

@tricken カトリック一神教思想を土台にした近代理性の思考が、結局のところは科学の実用的なレベルで高い一般性を持ちえたからかしら。 http://twitter.com/Anklang/statuses/896156045

tricken

@Anklang 自然科学の実用性が説得力を持ったのは強いでしょうね。しかしそれは真善美であれば単に真(事実)の領域であって、善と美にも有効かどうかは相変わらず不明なんだよなあと思います。 http://twitter.com/tricken/statuses/896159719

tricken

キリスト教イスラム教の凄いところは、それが普遍であるがゆえに思想の普及に迷わないことだ。批評にはそんな意味での普遍性はないんじゃないか? http://twitter.com/tricken/statuses/896163497

tricken

ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』で、記号論理学という真の領域からいかに善と美の領域を語りうるところまで行けるかを試した。結果、「語り得ないこと」は残った。後期では真すら揺らいだ。 http://twitter.com/tricken/statuses/896166023

tricken

とゆーわけで、一般性の確保を論じた人に「十字軍だ」という馬鹿は爆発していただきたい。批評以前に一神教なめんな。 http://twitter.com/tricken/statuses/896168446

「ぼくらと彼ら」の物語から「ぼくら」の物語へ

crow_henmi

学生が軍隊に引っ張られて前線で戦う羽目になる類の想像力(ガンパレとかマブラヴとかその亜流とか)、ロボとか美少女で粉飾されてるけど、基本的に日本社会における「例外状態の常態化」を背景にした想像力だと思う。つまりはバトロワと近縁している。そこに共同体の絆を持ち込み帳尻をあわせる。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889919513

crow_henmi

少年少女といえどもある種の覚悟を持って世界をサバイブせねばならんという意識、世界は残酷で敵対的であるという絶望感、それらを乗り越えるための「共同体」の絆がある。で、敵は「外部」からの「他者」としてぼかされてるけど、マブラヴ辺りでは彼らを戦場に送り出すこと自体が悪であると書かれる。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889921208

crow_henmi

思えば軍隊というのは社会共同体を構築するための平準化システムであった、ということとか、そこでの絆というのはゲマインシャフトであった、ということとか鑑みると、つまりは離散的流動的な現代社会に対するアンチテーゼとして「闘う」ゲマインシャフトが欲望されているとも読める。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889923320

crow_henmi

「闘う」ゲマインシャフトというのは共通の目的によって結束し、共通の文化を保有し、それぞれが強い心理的絆で結ばれている。そして目前の状況に対しては実際的に立ち向かうことができる。実に判りやすい。ついでにいうと仲間の死を通じて成長できたりもする。現代に欠けているものが全てそこにある。http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889925806

crow_henmi

こうした想像力と「希望は、戦争」的な想像力というのはつながりやすいのではないかなあなどと思っている。ただ、そこでは赤木的ニヒリズムは排斥されるだろうが。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889926892

crow_henmi

ただまあ「例外状態の常態化」ってのが前景化する前からこういう想像力はあった。たとえばガンダムから延々続くサンライズロボットアニメなんかそういう話。総力戦とその中での社会的立場を経ての成長、という構図。なぜ「総力戦」がロボットアニメの背景として取り上げられたのか。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889930369

crow_henmi

日本株式会社の世界に対する経済総力戦、みたいな部分を背景にしていたのだろうかという気はしないでもないが、牽強付会かもしれない。なぜなら高度成長期には「総力戦」モチーフの作品が描かれていないからだ。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889931790

crow_henmi

となれば「例外状態の常態化」が背景にあるという論は引っ込めざるを得ない。読みとして「例外状態の常態化」がゲマインシャフトによって補償されるというのは効力を失わないが。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889932562

crow_henmi

ともかく、なぜ「ガンダム」は「総力戦」を描かねばならなかったのか、というのは重要だ。おそらくは群像劇として、敵も血の通った普通の人間であるということを描写することが強い意味を持っていただろうとは云える。「他者」への視線。それへの意識。ガンダムは物語の周縁存在に焦点をあわせた。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889934774

crow_henmi

世界があり、そこにいる人々には脇役だろうがそれぞれの生がある。そうした事柄に焦点をあわせることで、視点の多元化を図り、物語の重層化を図ったということではある。昨今の「総力戦」ものにはそうした視座が欠けているか、弱い。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889937548

crow_henmi

「例外状態の常態化」により「他者」を慮る余裕がなくなり、自己と世界の闘争で自己に味方せねばならぬという状況が生まれ、それを克服するためにゲマインシャフトが要求された。という変化としては読める。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889938473

crow_henmi

つまりあれだ、ガンパレとかあの辺は富野アニメより世界に対する見通しが退化している、といえる。正義の相対化、他者の実体化というサンライズロボットアニメ路線の文脈から離れている、ということだ。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889939841

crow_henmi

他者の前景化、といいかえるべきか。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889940852

crow_henmi

「ぼくらと彼ら」の物語から、「ぼくら」の物語、への縮退は、それはそれで切ないことではあるなあ。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889941648

批評におけるエモとモエ

tricken

動物的にエモッたり萌えたりすることと、近代教養主義的な読みとが一個人によって平気で適宜切り替えられることが起きてしまっていることが現代の凄いことなのだろう。 http://twitter.com/tricken/statuses/894971814

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これを単に「動物化とはエモッたり萌えたりしかできない読みだ」と、近代教養主義的な読みと排他関係にあるフレームとすると、おかしなことになる。 http://twitter.com/tricken/statuses/894974152

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モエやエモも面白い読みではある。しかしインテリな読みに特権的な価値は与えないけれど、やっぱりそっちも面白いわけだ。これをモエやエモと同列に奥のがポモ、高低を着けたがるとモダン。もっと言えば啓蒙主義的。 http://twitter.com/tricken/statuses/894977439

tricken

問題は、萌えもエモも努力する必要無しにナチュラルに身についている無自覚なリテラシーだけど、インテリな読みとか批評的な読みとかは、努力して勉強したり色々面倒な手続きを経ないと習得できないということだ。その場合、努力してまでやるようなもんなの? という批判が当然出てくる。 http://twitter.com/tricken/statuses/895034813

tricken

これに対して、努力して批評的な読みをする人は、「飽きないために大事」と言うことは出来る。しかし、「飽きたときはその文化が程度だったってことでしょう」とモエやエモは言って何ら問題はない。したがって、批評が必要だというのは、努力が必要な領域を擁護するインテリの欺瞞である可能性がある。 http://twitter.com/tricken/statuses/895035972

tricken

つまり、あるジャンルを「文化」として引き受けたときに、そのコミュニティの発展などを考えた時に努力は価値を持つが、そのような文化への関わりを否定した場合は努力は否定される。個人は批評を持たずナチュラルに勝手に受容して、飽きたら捨てればよい。これは商業主義に限りなく近い。 http://twitter.com/tricken/statuses/895037300

tricken

商業主義では、受容理論を獲得する努力などまったく必要ない。そういう結論が出やすいから、モエやエモな作品を平気で褒める批評は、偏狭な文芸批評家に対して評判が悪いのだろう。しかし、別に動物的な読みを許容することと、批評する努力の価値を否定することとはイコールではないのではないか。 http://twitter.com/tricken/statuses/895038692

tricken

価値擁護をするときに、相手に消費者以上の努力を求めるのか/それとも個々人のナチュラルな(ある意味で好き勝手な)選好と、それを体現する商業主義に任せるのか。この辺が、批評の価値をめぐる社会的な問題としてありそうな気はしている。 http://twitter.com/tricken/statuses/895039766

「社会」はいかに回るのか Round2 sakstyle vs _Ag_

sakstyle

@_Ag_ の言っていることをより一般化させると、結局(?)公共性の話だなあ。社会って変えることできるの? みたいな。『筑波批評08春』のむいしゅきん論文の、「社会システムの両義性」という項を読んでほしい http://twitter.com/sakstyle/statuses/848484645

klov

@_Ag_ のおかげでちょっと頭がすっきりした。と同時に、やっぱりそれは僕からしたら「蓋然性」の問題に帰結する。システム的には「ないわー」で皆が降りる「可能性」はある。だが実際問題そうした「蓋然性」があるかは不明。 http://twitter.com/klov/statuses/848488970

klov

@_Ag_ はそうした蓋然性は実は高くないと考えている。僕は実は高いんじゃないか、と思っている。ただしタイムスパンをどれだけ長く取るかによる。僕は50年くらいのスパンで考えている。 http://twitter.com/klov/statuses/848489547

_Ag_

@klov 高くないと思ってますね。自分が反発者で、予告問答でうわぁんとなったのでなおさらです(^^; スパンの問題は・・・あー・・・考えたことないです。考えてみます。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848493320

sakstyle

俺も @klov の意見に近いな。「ないわー」で社会は変わる。ガンガン問答も、そういう話だったと思うんだけどね。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848492962

_Ag_

@sakstyle 一瞬びっくりしたんですけど、あぁ、そういう意味では「ないわー」で社会は変わる話だったんですか。意味わかりました。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848494793

_Ag_

(私は「ないわー」読者 vs @Muichkine & @sakstyle 的な文脈で予告問答の話を考えています) http://twitter.com/_Ag_/statuses/848496102

sakstyle

@_Ag_ 僕は「左」を自称していて、それは色々な意味で「左」なのだけど、一つには(大袈裟に言えば)国家権力への不信みたいな意味でそうなので、犯行予告を警察が取り締まることに対して「ないわー」と思うわけです。しかし、それに対知る「ないわー」が上回る状況に、正直げんなりします。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848499193

_Ag_

@sakstyle 私は多数決の原則には意味があると思う人間なので、SAKさんがげんなりしているその状況は、そうなるべくしてなった、だからその多数派の「ないわー」に分があるんだと思ってるんです。あのときも、今も。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848502602

_Ag_

少数の論理派から見れば、多数の反発者とかそれこそモンスターペアレント的な、言葉の通じない存在なのかもしれない、と思う。(エリートと大衆、と言い換えることは許されますか?) http://twitter.com/_Ag_/statuses/848504682

sakstyle

@_Ag_ その言い換えは全くもって妥当です。多くの「知識人」たちは、まさにそのことに憤ってきた。そして僕が『筑波批評08』で書いたのは、大衆みんながエリート並になれということであり、 @gginc さんに理想主義と言われた所以。無論、それが理想であることは分かっている。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848509786

sakstyle

@_Ag_ 多数が動くことで社会(均衡と言ってもいいのかもしれない)は変わる。だが、何かが多数であることは、多数であることによって根拠付けられるわけじゃない。多数であることには、何か別の理由がある。ならば、多数決そのものには、それほど重要な意義はない。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848507007

_Ag_

@sakstyle その「別の理由」をもっと重視すべきなんじゃないのかな、とか思うんですが。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848509299

sakstyle

@_Ag_ 全くその通りです。しかし、その「別の理由」というのが、果たして何であるのかを見定めるのは非常に難しく、またケースによっても異なってくる。ものすごく大雑把にいえば、社会科学という奴は、それを探求することなのでしょう。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848512945

sakstyle

@_Ag_ その「別の理由」を分析したいだけなのか、それを使って多数者を実際に動かしたいのか、で言い方は変わってくる。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848513900

_Ag_

@sakstyle 「別の理由」を分析して、それをうまく使って多数派を動かしてほしくて。それができるとしたら、エリートしかいないと思っていて。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848516105

sakstyle

@_Ag_ その「別の理由」が何なのか、ということで代表的なのは、規律訓練とか環境管理とか。多数者は権力によってコントロールされているという考え方。この考えに従えば、コントロールの方法を変えれば、多数者はころりと向きを変える。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848517167

sakstyle

@_Ag_ その場合、多数派に対してその「理由」ないし「コントロール」の正当性が、十分に教えられるとは限らない。以前、ガンガン問答の際、理由を十分に教えずに動員すると動員そのものが失敗するのでは、と言っていたけど、必ずしもその限りではない、と思う。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848519571

sakstyle

@_Ag_ まあそれ故に、僕は自分が動員に関わることはなるべく回避したいと思っているわけだけど http://twitter.com/sakstyle/statuses/848519887

_Ag_

「別の理由」が「人間としてないわー」な「倫理」的なものだと・・・あうー・・・ http://twitter.com/_Ag_/statuses/848524197

_Ag_

@sakstyle ガンガン問答で私は、多数派が「良い子はまねしないでね」と思ってるようなことを少数派が「やったほうがいいよ」というなら、やっぱり正当性や具体的方法が詳細に提示されないと無理だと思ったんです。今もそう思います。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848525930

_Ag_

理由や正当性が十分に教えられなくても大衆が向きを変えて動くときって、もっと単純で共感が得やすい煽りがされたときで、「ガンガン犯行予告とかするといいと思うよ」はブクマコメを見ても共感が得やすい煽りじゃないと思う。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848529237

sakstyle

@_Ag_ 「犯行予告をけしかける」ないし「犯行予告を乱発する」という方法は、結果的に(僕が思うに不幸なかたちで)戦術ミスが明らかになったので、答えいにくいのですが http://twitter.com/sakstyle/statuses/848531474

sakstyle

@_Ag_ うーん、あの件に関して言えば、理由と正当性は十分に説明していたと思うので、むしろ動かすためには、共感を得やすいような、ある種の虚偽を交えたようなフックの方がいいか、とすら思いますが。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848533714

_Ag_

@sakstyle その理由と正当性がゲーム理論を前提に説明されて、私はあのときそれを十分だとは感じなかった、という。程度の問題ではなく、種類の問題。/すみませんフックってどういう日本語になりますかorz http://twitter.com/_Ag_/statuses/848537901

sakstyle

@_Ag_ 今、自分の件のエントリを読みかえしたのですが、そこでは「社会の馬鹿馬鹿しさ」というふうに表現していますが、僕がこの件で持っている正当性はそこにあります。ゲーム理論(?)にはありません。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848551031

sakstyle

@_Ag_ 個人の悪を放置することと、社会の悪を放置することでは、後者の方がより危険である、というのが、犯行予告の件において僕が考える正当性であって、こう言ってよければ「倫理」です。件のエントリで僕はそれを、「モラルよりも自由の方をより重視」と書いています http://twitter.com/sakstyle/statuses/848552571

sakstyle

@_Ag_ 社会の悪という言い方はよくないな。統治権力の悪かな。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848553360

_Ag_

@sakstyle あー・・・でもその行為が有効であるという根拠みたいなものは、ゲーム理論的なところにあったんじゃないんですか? http://twitter.com/_Ag_/statuses/848554217

_Ag_

@sakstyle そこで私は、モラル重視の反発派が多数派(大衆)なのに「モラル重視派はわかってない」(エリート)的な門前払いを受けた印象があって内心さらに反発したりするわけですね。。。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848557542

sakstyle

@_Ag_ いや、そちらが、理由や正当性として「人としてないわー」「よい子は真似してはいけない」という倫理を提示したので、それと異なる倫理を示しているのです。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848558407

sakstyle

@_Ag_ その論点に関しては、やはりゲーム理論的なものは、それほど重要ではないです。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848559232

_Ag_

@sakstyle あ、すみません。それはわかります。いや、どちらかというと、門前払い的印象を受けるのは、エントリではなく、ついったーとかも含めたブコメへの感想というか。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848560727

sakstyle

@_Ag_ twitter が落ちてた時にポストしたことをもう一度ポストすると、「重要ではない」というのはちょっと撤回して、今となっては戦術ミスだったろうと思います http://twitter.com/sakstyle/statuses/848566237