「報道」は回り続けるのか。 Round1 _Ag_ vs klov

_Ag_

反論と反発の良い使い分けがわからない。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848324703

_Ag_

無関心の有効活用方法がわからない。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848324959

klov

@_Ag_ 反論は議論の中で、反発は喧嘩の中で http://twitter.com/klov/statuses/848325423

_Ag_

@klov あー・・・そうかー・・・。ちなみに・・・喧嘩って、なにか主張を表明したいときに、評価の対象外にされるべきことなんでしょうか。まさに「論外」っていうか・・・。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848330906

klov

@_Ag_ そうは思わないけど、議論はその過程にも価値があるもの、喧嘩は最終的な勝敗が全ての価値を握るもの、と解釈してます http://twitter.com/klov/statuses/848332633

sakstyle

@_Ag_ 議論と喧嘩の区別というのは、今まで考えたことがなかったので、思いつきだけれど、目的の違いではないかと。何らかの課題をクリアするためなのが議論、相手を打ち負かすためなのが喧嘩。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848337077

sakstyle

@_Ag_ 「自分の言いたいことを伝える」にしても、相手を打ち負かしたいのであれば、 TPO 構わず言えばいいのだし、何か共通の課題を解くためであるならば、そのためのミーティング的なものをセッティングすればいいのでは http://twitter.com/sakstyle/statuses/848337884

_Ag_

@klov さんの記事と、まりもっこり撲滅委員会話と、予告ガンガン問答と、ぜんぶひっくるめて浮かんできたりしたんですよ。ってこれだけじゃ意味わかんないかもしれないんですが(^^; http://twitter.com/_Ag_/statuses/848340681

klov

@_Ag_ すまん俺の脳みそではそれらを繋げられないw http://twitter.com/klov/statuses/848341620

_Ag_

@sakstyle 課題をクリアするために相手を打ち負かすことが必要なときに、反論と反発をどういうバランスで使い分ければいいのかな、と思ってみたり。相手=問題の所在というような。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848344328

_Ag_

@klov 「ないわー」と強く思うモノを消したければ、どうはたらきかけたらいいのか、はたらきかけなければいいのか、とか、そういう問題・・・と言えばいいでしょうか。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848345171

klov

@_Ag_ それがどういう次元で「存在」していてどういう次元で「消したい」のかによるかと。生物的な存在を消したいのなら*すしかない。見られるという次元において意味を持つ報道は見なければ消える。存在の次元でどう存在しているのか、そのシステムによると思う。 http://twitter.com/klov/statuses/848346587

_Ag_

@klov 私はたぶん「見なければ消える」に疑問符なのです。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848347990

klov

@_Ag_ ああ。それはあの話に限って?「見なければ消える」は報道の話について限ったもので、他のものに適用できるかは全然。 http://twitter.com/klov/statuses/848348694

_Ag_

@klov いわゆるマスコミは「見なければ消える」かもしれませんが、Ustは「見なければ消える」のかなぁ、と。マスコミはそれこそ視聴率や広告に表れますが、Ustは「10人しか見ていない」を「10人も見てくれてる」って発信者が思えばやり続けるんじゃないかな、と思ったんです。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848351619

_Ag_

@klov もちろんゼロになれば消えるだろって話ですけど。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848351984

klov

@_Ag_ ブクマコメントでそれを指摘していた人がいた。「プロペラは小さくても回る」と。多分正しい。もちろん既存のマスコミみたいに継続して報道することは現状では難しいけど、将来Ustが普及すれば、散発的な報道メディアが存在するかも。 http://twitter.com/klov/statuses/848353179

klov

@_Ag_ の指摘はすごく正しい。だから正直あのブコメで「Ust」なんてクソ、みたいな言い方している人は、今は正しいかもしれないけど将来の可能性を考慮して無い。 http://twitter.com/klov/statuses/848353612

klov

もちろん、「見なければ消える」のはシステムの話で、実際にそうなるかどうかは全然別。そこら辺考えて無いコメントも多かった。別に良いけど。 http://twitter.com/klov/statuses/848354547

_Ag_

@klov 散在する小さなメディアを否定したいときに、消すべきだと思うとき、そう主張したい私やあるいは津田氏は「ないわー」で対抗できるのか、という。「ないわー」で十分だ、とklovさんが書いていたのが、ちょっと疑問だったんです。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848354589

klov

@_Ag_ んー・・・理論だけで言えばさっきいってくれたとおりゼロになりゃ消えるんだけど…。じゃほんとにゼロになるの?といわれると状況にも拠るけどならない可能性はある。「ないわー」は1人じゃだめで、皆かたまらないとダメだと思う。 http://twitter.com/klov/statuses/848355584

_Ag_

ひとまず二つ。 @sakstyle @klov 結論から言うと私は散在する小さなメディア否定派なんだと思います。少なくとも「報道」分野に関しては。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848447910

_Ag_

@klov あと、さっきの「ないわー」はみんな固まらないとダメ、っていうのなんですが、「ないわー」が固まってもダメらしい、というのが、予告ガンガン問答のときの私の感想なんです。「ないわー」の質と内容にもよるとは思うんですが。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848450140

klov

@_Ag_ おー。面白いね。何故固まってもダメ、なんだろう。 http://twitter.com/klov/statuses/848460678

_Ag_

@klov 「ないわー」が反論じゃなくて反発だからだと思うんです。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848466875

klov

@_Ag_ んー。あくまで僕の先日のエントリに即していうと、反発だからこそ、いけるんじゃないかと思うのだが。反論はあの循環構造を崩せない。ロジックで崩せるものではないから。だとすれば「ないわ」という目的を純粋に志向する「反発」こそ、報道のプロペラを止めうる。 http://twitter.com/klov/statuses/848468723

klov

いやそれだと犯行予告とのつながりが出てこない。ごめん先走ったかも。 http://twitter.com/klov/statuses/848469042

_Ag_

@klov あ、いや、そもそもいろんなケースをひとまとめにして考えるのは私のいけない癖なのですが。ただ、報道の話でも、多数の「反発者」は、少数が「報道のプロペラを支持する側」として「論理」(つまり反発者から見た反論)を持っていたら勝てない気がするんですよ。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848472498

_Ag_

「不謹慎だ!」が寄ってたかっても、門前払いされる、っていう。門前払いする側は、論理を共有できる理解者だけで進んでいくんじゃないか、っていう。反発者はどれだけ集まれば門前払いされなくなるのか。どんな形で寄ってたかればプロペラを止められるのか。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848477462

klov

@_Ag_ うーむ。いやその少数者による「反論」が力を持つ理由はなんだろう。少数である時点でもはやそのプロペラは回らないか、ヘリ自体の大きさを縮小して回すしかなくなってるはずなんだが。 http://twitter.com/klov/statuses/848478052

_Ag_

@klov 少数の反論者は「独り」じゃないからだと思います。「少数」だけど理解者がいるからです。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848479479

klov

@_Ag_ あああわかった。ごめんなさい僕がちょっと読めてなかった。そういうことか。 http://twitter.com/klov/statuses/848479099

klov

@_Ag_ ある一つのメディアにしがみついてる人間を、「反発」だけでひきづりおろすことはできない。僕が想定していた「消す」は、消すというより皆が「ないわー」と言って「降りていく」イメージだったんです。 http://twitter.com/klov/statuses/848480349

klov

@_Ag_ の言うとおり、(例えば)既存のメディアがいかに叩かれて、「ないわー」と言われても、人が「降りて」いっても、それを「ありだわー」と思う人間がいる限り、プロペラは回るし、その人たちを無理やり降ろすことは出来ない。 http://twitter.com/klov/statuses/848482228

_Ag_

@klov しかも「ありだわー」の人って、「ないわー」に寄ってたかられても痛くもかゆくもないっていうイメージが・・・。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848483940

klov

@_Ag_ (真っ当かどうかは別として)論理で繋がっていた場合、それを確固として信じそうだからね。 http://twitter.com/klov/statuses/848484572

klov

@_Ag_ のおかげでちょっと頭がすっきりした。と同時に、やっぱりそれは僕からしたら「蓋然性」の問題に帰結する。システム的には「ないわー」で皆が降りる「可能性」はある。だが実際問題そうした「蓋然性」があるかは不明。 http://twitter.com/klov/statuses/848488970

klov

@_Ag_ はそうした蓋然性は実は高くないと考えている。僕は実は高いんじゃないか、と思っている。ただしタイムスパンをどれだけ長く取るかによる。僕は50年くらいのスパンで考えている。 http://twitter.com/klov/statuses/848489547

_Ag_

@klov 高くないと思ってますね。自分が反発者で、予告問答でうわぁんとなったのでなおさらです(^^; スパンの問題は・・・あー・・・考えたことないです。考えてみます。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/848493320

klov

@sakstyle @_Ag_ あるメディア関係の人が、「新聞が生き残るには、これからも同じように出し続けることだ。変化しないことだ」と言っていた。まさに真実。立ち止まったらダメ。変わったらダメ。あとはプロペラが小さくなるが、しかし回り続ける。 http://twitter.com/klov/statuses/848495013

klov

けれどやっぱりどこかで「ないわー」が勝つ日が来る気がする。僕はそっちに回る。(つかそれが新聞やテレビではなくて他のメディアになるだけだとは思うけどね) http://twitter.com/klov/statuses/848496014

_Ag_

@klov 私は「うstで報道ないわー」が勝つと思ってるので新聞やテレビは生き残る派でよろしくです(!)。

ポストモダニズム的承認論

inland_empire

福嶋亮大は新連載をまとめて「神話社会化するポストモダン」とかそうゆうかんじの単著を出しそう。てかだしてほしい http://twitter.com/inland_empire/statuses/846060683

inland_empire

もともとドラッグだと思うのは僕だけか。宮台がたしか終わりなき〜で文学者のことを「言葉を使ってハイになれるやつ」って書いてた。いいじゃんコトバドラッグ、とか思ってた。 http://twitter.com/inland_empire/statuses/848198906

inland_empire

重要なのは宮台がそこで暗に記号論の構図を使っていることで、人格(シニフィエ)と文化(シニフィアン)のむすびつきは恣意的で、相対化可能で、挿げ替え自由(のはず)だということかもしれない。 http://twitter.com/inland_empire/statuses/848200387

inland_empire

しかしそうするとたぶん両者のむすびつきは恣意的なはずなのに、いずれかのシニフィアンは必ず届いてしまう、という超越的なシニフィアンの問題がでてくる。 http://twitter.com/inland_empire/statuses/848202562

inland_empire

それにたいしては、そもそも本来は維持できないシニフィエシニフィアンの峻別することそのものが、そうゆうのを生んでしまう、というはなしになって、だからシニフィエシニフィアンの境界を自由に書き換えることで、シニフィアン自体を分割する、というはなしになる(たぶん)。 http://twitter.com/inland_empire/statuses/848203668

inland_empire

だから福嶋亮大を僕はフーコーというよりデリダとして読む。そのほうがおもしろいから。がんばれ福嶋〜。 http://twitter.com/inland_empire/statuses/848204633

sakstyle

「承認」関係の話が、ずっと意味不明だったんだが、ようやく分かってきた。いや、気付いてみると、気付くの遅すぎって感じだが。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848222324

sakstyle

人間は、「動物」と「人間」の2つが組み合わさっている。ゾーエとビオスって言ってもいいけど。で、「人はパンのみに生くるにあらず」、「動物」だけゾーエだけで生きていくことは出来ない。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848223611

sakstyle

で、「人間」やらビオスやらを生きるために、「承認」とやらが求められる、ということなのかな。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848223843

sakstyle

そう考えると、(ロスジェネ的)藤田の理論はちょっと転倒しているかもしれない。「人間」として生きられないのでとにかく「承認」を必要としている人たちには、ドラッグ的に、いわば「動物」的に「承認」を与えることも考えなきゃいけない、ということだから。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848225840

sakstyle

一方で、そもそも「人間」とかビオスとかって、本当にあるのかよ、という問題提起をしたのが、東と稲葉だろう。そして、東、稲葉、福嶋では、その後の行き先が微妙に異なる。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848226315

sakstyle

稲葉は、何というか、「人間」とかビオスとかって怪しいけど、まあだましだましやっていこうよという感じがする。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848227524

sakstyle

東は、「人間」やビオスを生きられなくても生きられるのがいいじゃないか、という立場(ただし、彼は「人間」全否定、「動物」全肯定というわけでは必ずしもなかったりする)。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848228632

sakstyle

「人間」として生きられなくても生きられる、という東の立場は、おそらく福嶋に受け継がれる。東の言い方だと、「人間」じゃないならじゃあ「動物」として生きましょうか、となってしまいそうだが、従来の「人間」でも、また「動物」でもない、「ポストモダン人間」を探しているとも考えられる。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848229744

sakstyle

東の「データベース」や福嶋の「神話」は、「動物」のためのシステムでも、ましてや「人間」のためのシステムでもなくて、「ポストモダン人間」のためのシステム、といいうるのではないか。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848230042

sakstyle

そうすると、東や福嶋が、「承認」問題に対して、懐疑的というか消極的な態度をとっているのもよく分かる。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848230496

sakstyle

ポストモダン人間」って何だそりゃ、という話になっていくわけだが、そう考えると、さっき僕は藤田の議論を転倒していると言ったけれど、あれはあれで「ポストモダン人間」の一つの可能性を提示しているともいえる http://twitter.com/sakstyle/statuses/848231818

SuzuTamaki

「承認」をドラッグ的に補給しようとする態度っていうのは確かに半ビオス、半ゾーエー的な、まあ「ポストモダン人間」っぽいですね。そしてそれが東の言う「データベース的動物」=「オタク」なのだろうけれど。 *Tw* http://twitter.com/SuzuTamaki/statuses/848233633

sakstyle

人が「俺ってそれなりにちゃんと生きているな」と思うには何が必要で、それをどう供給するか、ということなのかな。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848233760

inland_empire

僕はこう考えました。ほんらい「動物」と「人間」は峻別できない。にもかかわらず、「動物」と「人間」を峻別してそのふたつからある種のパフォーマンスを定位せよという習慣だけが残っている。だから、ふたつを峻別するという規範そのものに操作を加える……これが神話を対象化するということかなーと http://twitter.com/inland_empire/statuses/848234522

sakstyle

@inland_empireポストモダン人間」って何か、ということを考えるならば、「人間」と「動物」の区別を書き換えるという方向に行くでしょうね http://twitter.com/sakstyle/statuses/848236615

sakstyle

アイデンティティという言葉に対して、自分は、ギデンズ的というかエリクソン的というか、そういう用法をほとんど無視していたのかもなあ、と思ったりしている。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848237375

inland_empire

僕としては、神話的なもの、データベース的なものは通時的な問題ではなく、共時的な問題だと思う。そこが福嶋への不満で、ロゴス的なものを解毒するためにそれがあるのではなく、ロゴスを維持するためにミュトスがあって、そのふたつは共犯関係なのではないか http://twitter.com/inland_empire/statuses/848236744

inland_empire

ポストモダン人間」でなくても、「人間」と「動物」の峻別が無効になった層に、すでに依存してる可能性はあると思いました。 http://twitter.com/inland_empire/statuses/848240075

sakstyle

ポストモダニズム思想って、やっぱある意味では最強すぎて、勝ち目がないというか行き先がないというか。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/848240741

sakstyle

つまり僕は、「どのようにして生きるか」ということを思考することにはあまり興味がなくて、同一性とかについて思考する方が好きなのだけど、まさにそれが、ある生き方であってポストモダニズム思想的には批判にさらされる感じがして http://twitter.com/sakstyle/statuses/848241947

「データでガツン」論争・補遺

_Ag_

私が「史料が客観的データになりにくいからデータでガツンがしにくい」って言い出して、それはそれであるんだけれど、それと一緒に、 @sakstyle さんの「新史料の発見はデータでガツンにならないの?」にはもう一つ他の形で答えなきゃいけなかったんじゃないのか、とか。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/847230120

_Ag_

「新史料は発見しようと思って発見できるものじゃない」 http://twitter.com/_Ag_/statuses/847231593

_Ag_

つまり、「新史料の発見」に限って言うなら、歴史学はデータを自分でそろえることが難しい。仮説をもとに「こんなデータないんかなー」と思っても、そのデータを得る術がない場合がある。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/847233151

_Ag_

だから日常的な研究の中で「新史料発見」による「データでガツン」で自説を補強することって難しいんじゃないか、という。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/847234403

_Ag_

日常的な研究でデータでガツンだとしたら話が戻るけどこういう系になるんだと思う。→ http://tinyurl.com/5chlfm http://twitter.com/_Ag_/statuses/847241055

_Ag_

あとは @min2fly さんが言っていた計量文献学とか、そういう系。あるいは材質がどうのとか分析し始める美術史系?(っていってもこれもすでにある作品は分析しつくされているし、現物が手元にあって解析可能な人ってほとんどいない) http://twitter.com/_Ag_/statuses/847256406

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kouteika

「データでガツン」論争。これは面白い。昨日の「主体思想」の話もそうだったけれども、こうした楽しい話を拝見できるのが、ツイッターの醍醐味かと思う。生で見られなかったのが、残念だけれども(今朝がたやっていたのかな。)。 http://twitter.com/kouteika/statuses/847664764

kouteika

また勝手に雑感を述べると、歴史学で、「データでガツン」が難しいのは、そもそも「歴史学」という営みが、他ならぬ「データでガツン」―言葉をかえれば、「ある素材が、無媒介に結論を導いてしまうこと」―を嫌って、これをいかに防ぐかの工夫の一つであったことによると思う。 http://twitter.com/kouteika/statuses/847665014

kouteika

もちろん、現代の歴史学は、こうした意味での「歴史学」が、「データにものを言わせる」別の系譜(J.G.Aポーコックのいう“erudition”。博物学、考古学、年代学、少し転調して社会学、人類学など。)と合流して成立しており、問題は厄介。 http://twitter.com/kouteika/statuses/847665672

kouteika

そこで、「データにものを言わせる諸学」が、時として歴史学の本体を乗っ取ってしまうことがある。しかし、「データにものを言わせる」という発想は、本来の「歴史学」からすると、正嫡ではない。「補助学科」という呼称には、「婢」のニュアンスがつきまとう(「歴史学」の側はそう考えたい)。 http://twitter.com/kouteika/statuses/847666097

kouteika

いずれにせよ、「歴史学」における「ガツン」は、証拠の吟味(「データで」)とは異なった局面で示されることになるのではないか。 http://twitter.com/kouteika/statuses/847667949

kouteika

「ある素材が、無媒介に結論を導いてしまうこと」を警戒する「歴史学」のメンタリティーを垣間見ることが出来る、手近な好例として、加藤陽子満州事変から日中戦争へ』(岩波新書 2007)における、「推断させること」を巡る叙述が挙げられる。 http://twitter.com/kouteika/statuses/847672811

エジソンはマッチョ

hazy_moon

エジソンの「天才は1%のひらめきと99%の努力」と言ったというのは、記者による捏造 *Tw* http://twitter.com/hazy_moon/statuses/846704304

hazy_moon

実際は「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」 *Tw* http://twitter.com/hazy_moon/statuses/846704525

hazy_moon

エジソンとものすごく仲の悪かったテスラは、「天才とは、99%の努力を無にする、1%のひらめきのことである」と言っていて、実は同じことを言っていて面白い。 *Tw* http://twitter.com/hazy_moon/statuses/846704792

hazy_moon

テスラは新聞記事を読んで皮肉ったつもりだったけど、実はエジソンと同じことを言っていた、というオチ。 *Tw* http://twitter.com/hazy_moon/statuses/846704956

redribabarnとおばあちゃんと博士のクラスタ話

redribabarn

クラスタってなんだ.やたら出てくるな.ちょっとこのことについて詳しく教えて,おばあちゃん. http://twitter.com/redribabarn/statuses/846726658

redribabarn

おばあちゃん:つくばの話をすればつくばクラスタ,秋田の話をすれば秋田クラスタ,留年の話をすれば留年クラスタ非コミュな話をすれば非コミュクラスタとよばれるように,なにかの話題を出した時点でそのクラスタに入れられるんじゃよ.それがクラスタじゃ. http://twitter.com/redribabarn/statuses/846727479

redribabarn

ふーん,なんだかよくわからないけど,それって誰でも何かかしらのクラスタに属してるってこと?クラスタ自体は何のことなの?教えてwikipe博士! http://twitter.com/redribabarn/statuses/846727992

redribabarn

wikipe博士:クラスター(cluster)は、原子および分子が、ファンデルワールス力などによって数個〜数十個、もしくはそれ以上集合した状態のことだ。ファンデルワールス力だから皆が思ってるほど結びつきは強くないんだぞ. http://twitter.com/redribabarn/statuses/846728377

redribabarn

なるほどー.では博士,現在ウザいといわれている強固なクラスタは,実はクラスタなんて呼べなくて,強固な共有結合でできる単結晶といってもよいのですね? http://twitter.com/redribabarn/statuses/846728901

redribabarn

wikipe博士:その件については現在項目はないのだが,何かを共有して結合する点,結合が非常に強い点で近いといえるな. http://twitter.com/redribabarn/statuses/846729826

redribabarn

wikipe博士:炎上させてみて,分解するようならクラスタ,びくともしないなら共有結合の可能性はあるぞ.実験してみる価値はあるかもしれんな. http://twitter.com/redribabarn/statuses/846730517

redribabarn

うーん,なんとなーくわかりました!おばあちゃん,博士,ありがとう! http://twitter.com/redribabarn/statuses/846730664

redribabarn

@redribabarn 自演乙 http://twitter.com/redribabarn/statuses/846730848

歴史学・科学・「データでガツン」

min2fly

言葉で煽るのも好きだけど、研究においては有無を言わさぬデータでガツンと攻めて、言葉はむしろ控え目くらいの方が好きだったりする *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846939022

min2fly

「こんなんなりました。どよ?」「ざわ・・・」みたいな *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846939816

_Ag_

@min2fly データでガツンで寡黙ってかっこいいよねー。歴史はそういうの考古学くらいしかできないのかな。「史料」も文献だと客観的データだと言い切るのが難しいから。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/846945918

klov

客観的データでガツンという難しい。データは現状認識。その後どういう思索をすべきなのか、そこんところは言葉で煽る煽る煽る。 http://twitter.com/klov/statuses/846946554

min2fly

@_Ag_ 「こういう書簡があった」とか、帳簿類とかの新史料はガツンといけたりもするんじゃないかな?古代ローマだときつい気はするけど・・・あとは計量〜学的なのとか?? *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846946875

min2fly

中世の活版印刷本の、ページ内に字が収まりきらなくなった時に使う略字(?)の出現傾向から「この本の印刷には最低x人の職人が関わってた」とかを明らかにする研究があったが、ニッチ過ぎるか? *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846948542

_Ag_

@min2fly 帳簿系はいけるかも。あとは出版の意図なく市民がメモ程度に書いてたものとかの方がいいのかな。文献史料は出版の意図があった時点でその中身をストレートに信用できないようなところがある気が。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/846956049

klov

客観的なデータ、など存在するのかどうか怪しい。多分相当少ない。 http://twitter.com/klov/statuses/846959135

klov

故にデータだけで何か意味を持つことは出来ず、必ずそこに誰かが意味を持たせねばならない。当たり前だけど。 http://twitter.com/klov/statuses/846960100

_Ag_

@klov 統計やグラフも何も証明しませんよ、という話はよく。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/846961279

sakstyle

@_Ag_ @min2fly 「データでガツン」の意味が、微妙に分かりかねてる。歴史学でいうならば、新史料の発見とかか。でもそもそも、史料の「発見」って歴史学の仕事なのか? http://twitter.com/sakstyle/statuses/846961658

sakstyle

@_Ag_ 書いた人間の意図の有無と「データでガツン」がどう関係しているかが分からない。仮に、新史料の発見が「データでガツン」であるならば、別にそれが出版物か否かって関係なくね? http://twitter.com/sakstyle/statuses/846962400

klov

@_Ag_ もちろんmin2flyの言うように議論の中でデータがそれだけで反論になることは、あると思うけど。 http://twitter.com/klov/statuses/846963319

_Ag_

@sakstyle いや、史料の発見は、私は「データでガツン」とは思いません。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/846963445

klov

単純な生データとコンテクスト上のデータの意味は違う。 http://twitter.com/klov/statuses/846963921

sakstyle

@_Ag_ じゃあ「データでガツン」ってどんなもの? 歴史学にはない、ということなので、歴史学で例を出せ、というのはよくないかもしれないが。じゃあ、考古学だったら? http://twitter.com/sakstyle/statuses/846966101

_Ag_

@sakstyle ここでは採れないもので作られたものがある、とかになるんじゃないかな、と。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/846968328

sakstyle

「データでガツン」というのは何か。まず、何らかの仮説があって、その仮説では○○というデータが得られるはずなところ、実際には××というデータが得られて、仮説が反駁される、というようなことか。ということは、歴史学において、仮説とデータって何だ?ということになるのかな http://twitter.com/sakstyle/statuses/846969037

sakstyle

歴史学だけでなく、人文科学にとっても http://twitter.com/sakstyle/statuses/846969503

sakstyle

@_Ag_ そうだとすると、何故「新史料の発見」は「データでガツン」にあたらないのでしょう。今まで存在すら仮定されていなかったものが出てきたら、それは何らかのインパクトをもたらすと思うのですが http://twitter.com/sakstyle/statuses/846970890

shalom_rajendra

@sakstyle 歴史学で「データでガツン」は難しいね。言うなれば「蓋然性の高い小さな物語の積み重ね」が歴史学の営為だから。 http://twitter.com/shalom_rajendra/statuses/846970940

klov

@sakstyle そうだと思う。社会学とかだと、データ:凶悪な少年犯罪が増加している。 仮説:少年が凶悪化している というのがあったとすると、データの部分が間違ってると仮説も妥当性を失う http://twitter.com/klov/statuses/846971856

_Ag_

@sakstyle 「史料」によると思います。「新史料の発見」とくくって話を進めると難しいです。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/846974327

sakstyle

@_Ag_ 史料の存在そのものは、データとはいえないの? 例えばさっきの @klov の例であれば、少年の凶悪犯罪の存在(ないし不在)が意味を持つわけだけど。うーん、しかし難しいなあ。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/846977509

sakstyle

データってそもそも何だって話だな。情報か。ある種の科学や研究におていは、データを提示することだけで意義を持つが、別種の科学や研究では、データを提示することだけでは意義をもたない。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/846978934

_Ag_

実話とされてる文献史料の中身を「この時期にこの場所でこの動物は生きられない」とか「これだけの日数じゃどう頑張ったってこの人数の軍隊はここまで進めない」とか、物理的不可能を指摘してくことがデータでガツンにあたるんだろか。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/846979173

klov

データの提示って「提示」という行為がどういう意味を持っているのかでデータの持つ意味も変わると思う。誰が誰にどういう文脈で提示するのか http://twitter.com/klov/statuses/846980671

sakstyle

@_Ag_ なるほど、そういう類の研究ってあるね http://tinyurl.com/62garv http://twitter.com/sakstyle/statuses/846981399

klov

歴史学における「データ」「資料」に意味を持たせることの難しさは南京大虐殺なりなんなりでよく分かる。 http://twitter.com/klov/statuses/846982416

_Ag_

@sakstyle 新史料の話だと、個々の事例にどこまで意味を持たせるか、みたいなことを考えちゃいます。1通書簡が出てきても、当時作れたはずの書簡集コンプリート BOXの全体で考えないと意味ないんじゃないか的な。どんな研究分野でも一緒だとは思うんですけれど。そしてキリないですが。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/846983520

min2fly

データでガツン=データ的裏付けがない状態で流布している仮説(「凶悪犯罪が増えている」とか、「レファレンスサービスは図書館専任職員の役割である」とか)を反証するデータを示してみせること、あるいは逆に従来と異なる仮説を立ててその仮説をデータが立証することを示す、とか *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846985649

sakstyle

@_Ag_ 「当時作れたはずの書簡集コンプリート BOX の全体」というのが、さっき言ったところの「仮説」にあたるかなあ。そういうのが想定されるのは、他の学問も一緒だよね。では何故、歴史学では「データでガツン」は成立しにくいのか。あるいは成立しないのか。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/846986090

klov

@sakstyle 歴史学だとデータに一元的な意味を持たせるの難しそう。複数の解釈が可能なものばっかりというか。 http://twitter.com/klov/statuses/846987321

sakstyle

@min2fly 何故それが歴史学だと難しいのか。というか、それが出来なかったら、研究として進んでいかない気がする。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/846987434

sakstyle

また、 @klov が言うように、データはデータそのものではなくそのコンテクストが重要であるがために、「データでガツン」が困難だとすると、何故それは歴史学(ないし人文科学?)固有の問題となるのか。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/846988180

klov

というか歴史学じゃなくてもそうだけど。犯罪の話だってデータの取り方いかんで変わってくる。みんな警察発表とかマスコミの報道簡単に信じちゃダメだぞ☆ http://twitter.com/klov/statuses/846989317

min2fly

@sakstyle 歴史学は過去に起こった事実を扱う(本当はその先がある、と自分は考えているが)ので再現性がないから。自然科学は当然再現性が求められるし、人間を扱う学問だってある条件下で同じサンプルをとったら結果がある程度再現できるが歴史は再現とか無理だし *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846992646

min2fly

だから個々の戦場とかを扱うのではなく、一般化した真実を取り出そうと思うのなら歴史学だってデータガツンは出来る気がする *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846993418

_Ag_

。o ○(自然発生的なモノや状況はほとんど残ってないし、人の書き残した言葉はときに嘘をつくんだもの♪) http://twitter.com/_Ag_/statuses/846993952

min2fly

「蕎麦を主食とする地域では文明は生まれない」とかなら世界中の主食の変遷を探っていけばデータでガツンできるが、問題はその世界中の主食の変遷を辿るプロセスが面倒なことか *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846994949

klov

南京にせよアウシュヴィッツにせよ、あそこらへんのそもそも見た人が殺されちゃった問題はアガンベン的な形で解決するしかないのかね http://twitter.com/klov/statuses/846995667

sakstyle

うーん、今自分が何を気にしているのか、というと、自然科学と歴史学の相違は、扱っている対象の違いによって生じているのか、そもそもの手法や本質の違いによって生じているのか http://twitter.com/sakstyle/statuses/846995958

klov

@sakstyle 対象が違うから手法が異なるのでは http://twitter.com/klov/statuses/846996946

sakstyle

@min2fly 「データでガツン」が、仮説への反駁を意味するのであれば、データに再現性があるかどうかはそれほど重要なこと? 「蕎麦を云々」も再現性なくないか http://twitter.com/sakstyle/statuses/846997188

min2fly

@sakstyle 確かに、もう一度同じシチュエーションを用意して試す、ってのが出来ない点では再現性ないね。事例数を集めることで新しく再現することは出来ないところを過去再現している、として補っているとも考えられるが、他の条件も考慮に入れないと *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/846999796

min2fly

まあ、もともと量的調査は実際には条件を統制できてないところを数を集めることでなんとかしているし、そもそも人間に関する研究は要因多すぎて「条件を揃える」ということが出来ないから純粋科学的な0か1か的な真実は見出しにくい *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847001205

min2fly

もちろん自然科学もそうだが、データ上AがBという事象の原因であるように見えても、実際はAの裏にあるCがBの原因かも知れない。そこについては相関とか統計だけではない論理が必要になってくる *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847002886

_Ag_

@min2fly そんなようなこと『生物と無生物のあいだ』で言ってた。(野口英世の失敗例とともに) http://twitter.com/_Ag_/statuses/847004081

sakstyle

@_Ag_ その本は読んでいないが、あの作者の人は、爆問学問で、ヒュームばりの因果律への懐疑を口にしていたような気がする(うる覚えだけど) http://twitter.com/sakstyle/statuses/847008514

min2fly

@_Ag_ うちは統計系の授業で口を酸っぱくして言われた。回帰分析も相関も、モデルを作るところまでは行っても仮説(論理)がなければ研究にならないとか *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847006485

sacon

@sakstyle E.H.カーの『歴史とは何か』は読まれたことあります?あれまさにそのテーマを延々と書いてますよ http://twitter.com/sacon/statuses/846998273

sakstyle

@sacon タイトルは聞いたことがあるのですが、未読です。ありがとうございます。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847003242

sacon

@sakstyle たしか一応話し言葉で書いてあってそれなりに読みやすかったです。結論的な主張は忘れてしまいましたが(^^;)、いろいろな論点や疑問についてかなり詳細に検討していました。 http://twitter.com/sacon/statuses/847006327

sakstyle

というか、「データでガツン」が出来ないのであれば、歴史学って何やってんの、とも思いたくなる。「人は嘘をつく」として、その嘘を検証するのが歴史学であるのであれば、それは「データでガツン」をやることなのでは? http://twitter.com/sakstyle/statuses/846998793

klov

@sakstyle の釣りに歴史学やってる人は釣られねばならない。 http://twitter.com/klov/statuses/846999773

sakstyle

ここでいう「データでガツン」を単純化して整理するならば、仮説→仮説を支持ないし不支持するデータの提示→仮説の定立ないし反駁、ということになる。自然科学はこれを行っている(ことになっている)。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847001221

sakstyle

さて、歴史学においては、データが、「嘘である可能性」「コンテクストが重視される」「再現性がない」などの理由により、前述の仮説を支持・不支持するようなものにならないらしい。あるいはそれが困難らしい。だとすると、歴史学は前述したこととは別のことをしている営みだということになる。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847002602

klov

@sakstyle 別の営みではないのでは。あまりすっぱりキレいに線をひけるもんじゃない。容易ではない、だけで。 http://twitter.com/klov/statuses/847004194

_Ag_

@sakstyle 私はあんまり嘘を検証するのが歴史学、と思わないので・・・。(それは私が古代史やってるからだと思いますが。) http://twitter.com/_Ag_/statuses/847001973

sakstyle

@_Ag_ じゃあ、歴史学って何なの? 史料が「嘘かもしれない」から、本当か嘘か調べていくわけではないの? http://twitter.com/sakstyle/statuses/847005058

klov

証言が嘘かもしれないし、コンテクスト次第で意味が変わるかもしれないし、再現性がないかもしれないがそれでも仮説の立証やめたらそれ学じゃねーだろと思う。そしてまさか歴史学がそんな放棄をしているとは思えない http://twitter.com/klov/statuses/847005523

min2fly

科学(あるいは学問)において「証拠」足りうるのは・・・なんだっけか、データ、論理、それに厚い記述、だったか確か http://tinyurl.com/5vvfkm *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847009874

min2fly

社会現象と自然現象の最大の違いは、その現象の構成主体あるいは構成物の「意図的行動」によって現象の流れが変化するか、どうか。 (先のソースより) *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847010575

min2fly

一次史料=同時代人の手によるナマモノ(書簡とか)、二次史料=後世の人の手による編纂物(ヘロドトスの『歴史』とか) by Wikipedia *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847012732

sakstyle

@klov 歴史学と自然科学が、仮説の検証という点で同じ営みであるのならば、その両者の違いは、対象の違いのみ、ということになる。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847013835

klov

@sakstyle ただ仮説の検証の仕方が異なると思う。限界の違い、というか。 http://twitter.com/klov/statuses/847014688

_Ag_

あうー・・・古代の文書だとそれが「嘘かもしれないから本当か嘘か調べていく」とか泣けてきてしまいます。現代史だと違ってくるかもしれませんが。なので歴史学の中の分野やスタイルによっても差があるので一概にはなんとも・・・。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/847015365

sakstyle

@klov @_Ag_ しかしもし、「対象の違いのみ」であるとするならば、何故これほどまでに「「データでガツン」は困難」と言われなければならないのかよく分からない。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847015549

_Ag_

古代だと「史料」の内容そのものより、その「史料」が書かれたというその事実自体の方がデータになり得たり。史料の内容の真偽に議論の余地があることは承知で。となると場合によってはそこからは文脈付けの言葉勝負になりがちに・・・? http://twitter.com/_Ag_/statuses/847016384

sakstyle

つまり、データから仮説を検証するのって難しいよね、って話なら、別に歴史学に限った問題ではないでしょ、ということ。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847016822

min2fly

@sakstyle 単純に仮説検証するデータ取って来づらいからかもね。昔の人にアンケート取るわけにもインタビューするわけにもいかんし。 *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847017213

sakstyle

@_Ag_ 僕が「新史料の発見」は「データでガツン」にならないの? と問うていたのは、そういうことなんだけど。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847017452

klov

@sakstyle 何度も言うがまぁ難しさのグラデーションの問題では。だから「歴史」がどうであったかとかあれだけ紛糾するわけで http://twitter.com/klov/statuses/847018281

_Ag_

@sakstyle あ、本当ですね。・・・でも「ガツン」ではない気が・・・するんですよ。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/847020438

min2fly

もちろん、事実ならデータ取ってこれる(炭素の分解状況で年代同定とか。あれも相当誤差あるが)が、歴史学で本当に知りたいだろう「なぜ?」の部分は、つまるところ人の意図であるので、なかなか過去にさかのぼれない *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847018681

min2fly

何が一次史料(資料)で何が二次史料(資料)かは分野によって扱いが変わるので面白いが大変 *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847014213

klov

@min2fly そこを面白いといえるのが図書館学徒とたる所以かしら http://twitter.com/klov/statuses/847015217

min2fly

@sakstyle 「新聞でどう報道されたか」の方を見るんであれば一次資料だろうね。さっきのヘロドトスの話も、知りたいのがヘロドトスが記述対象とした過去の歴史でなく、「なんでヘロドトスがこう書いたのか?」とかなら当然『歴史』が一次史料になる *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847019604

min2fly

で、明らかにしたいものの中に人の意図が含まれると、途端に人のつく「嘘」の問題が浮かんで史料が信用できるか検証しないといけなくなったり、捉え方によっては色々な切り口があったり・・・ *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847021955

min2fly

「こんな史料があったぜ!」「そいつが一人で言ってるだけじゃねえの?」「っていうかそれ偽書じゃね?」 *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847023176

_Ag_

歴史学上のデータは『ぱっと見の説得力』が発揮しづらい」・・・。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/847023509

min2fly

まあでも、それは大量データ系だって一緒だけどね。「こんな結果になったぜ!」「サンプル偏ってるんじゃねえの?」「質問紙のつくりのせいじゃね?」 *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847024098

klov

「こんなデータがあったぜ!」「それ観測スパン短すぎじゃね?」「っていうかそれガセじゃね?」 http://twitter.com/klov/statuses/847024584

sakstyle

@min2fly いやちょっと待て。さっきから何度も気になっているのはそこなんだよ。データの検証が必要になったり、データの解釈に差異があるのは、それが「意図」や「嘘」が絡むからなのか? 自然科学だってありうることではないのか。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847024589

sakstyle

@klov のいう、「難しさのグラデーション」というのは納得できる。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847024958

klov

データの取り方の難しさはアンケートの質問紙一回作るとよく分かる。そして行政のアンケートとか調査がいかにクソかがよく分かる。もちろん民間は論外。 http://twitter.com/klov/statuses/847025361

min2fly

@sakstyle もちろん自然科学だって検証/解釈の際はあるが、そもそも自然科学は(一部除き)「人間の意図」が対象に含まれない。かつ、多くの場合検証の方は実験繰り返せば出来る。 *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847026289

min2fly

Aって実験環境でBって結果になった、は同じ環境用意すりゃすぐ検証できる。Aって手紙を書いた人が嘘書いたかどうかをもう1回やってもらうことはできない *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847027912

min2fly

あと人の意図に関する部分はAさんにあてはまったことがBさんにあてはまるかわかんない。条件同じに出来ないから *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847028645

sakstyle

@min2fly どうして嘘を書いたかは調べられないけど、それが嘘であるかどうかは、調べられるでしょ http://twitter.com/sakstyle/statuses/847028992

min2fly

@sakstyle でも最終的に知りたいのは「どうして」の方ではないの? *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847029973

_Ag_

@min2fly 条件同じにできないのに、「Aさんがこうであったように、似たような状況にいたCさんもこうだったのではないだろうか」的な推論が結論になりうる気がする。歴史。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/847030538

min2fly

@_Ag_ それをやっちゃうのが社会科学や人文科学というか、条件がまったく一緒には出来ないから絶対あてはまるとは言えないけど、条件揃えてない状態でもこれくらいの割合であてはまる・・・って話をすることになる *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847031711

sakstyle

@min2fly そこが難しい、というか、歴史学とは何か、ということの本質的な問題だと思う。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847032176

min2fly

いや実際には自然科学でもそこら辺の話はされていると思うけどね。 *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847032729

klov

@_Ag_ @min2fly 社会科学はそこら辺のきわどさを質的調査と量的調査の相互補完でどうにかしている。が、歴史学はちょっとそれ難しそう。 http://twitter.com/klov/statuses/847033346

min2fly

@sakstyle 因果関係を明らかにしようという営みであることは科学(学問、かは微妙)の必要条件かと思っていたが。記述的真実だけでいいってことはあるまい *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847034144

_Ag_

@min2fly だから「ガツン」になるかどうか、という・・・程度の問題。私は「ガツン」にならない気がしている。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/847034175

_Ag_

(というかどこから「ガツン」と言えるのか、って話だけど) http://twitter.com/_Ag_/statuses/847034987

sakstyle

つまり、歴史学にとって「データがガツン」が困難であるのは、単に統制すべき条件が大きすぎるという量的な問題であるのか、そもそも「人の意図」が絡んでくるので質的に異なってしまうのか。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847034725

min2fly

@sakstyle 「人の意図」は歴史学に限らず社会科学・人文科学共通のところではあるので、それ以外に困難さがあるとすればやはり統制の問題では *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847036001

min2fly

あれ、よく考えたら自分は歴史学も「データでガツン」いける派じゃなかったっけ?? *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847036493

sakstyle

@min2fly 因果関係にしても、「人の意図」抜きの記述が可能かもしれないし、あるいは歴史学は因果関係を問わないのかもしれない(俺は歴史学をやっていないので分からないけど)。だとすると、やはり歴史学と科学は別の営みである、ということになる http://twitter.com/sakstyle/statuses/847036539

min2fly

@_Ag_ その点では社会調査系も人によっちゃあ「ガツン」じゃないと言われたり(爆) *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847037385

min2fly

@sakstyle まあ歴史学も"Humanities"だしね。別にすべからく科学である必要はない *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847038732

_Ag_

E.H.カー『歴史とは何か』が手元にある。この本にはそのときどきの歴史学の「流行り」みたいなものも書いてある。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/847039062

sakstyle

@min2fly だから、今回は歴史学を例に挙げたけど、人文科学全般の問題であるような気はする。 http://twitter.com/sakstyle/statuses/847039314

min2fly

@sakstyle 人文科学は別に科学って名乗らなくていいというか、日本で"科学"って言われてるけどHistoryもHumanitiesもScienceとは違う営みだよね。文学とかは科学でないことに自負があるとも思うが・・・ *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847041046

_Ag_

やっぱり、データでガツン系は「歴史家は、歴史の『補助科学』と呼ばれてきたもの―考古学、金石文学、古銭学、年代学など―を頼りにすることができるのです」(カー)の補助科学の方かも。 http://twitter.com/_Ag_/statuses/847042276

min2fly

@_Ag_ そこに計量文献学とかがそのうち入ってきてくれることを期待したり。古文書に出てくる文字をクラスター分析v *Tw* http://twitter.com/min2fly/statuses/847044408

ディストピアあれこれ

todesking

1984みたいな社会体制こそ最良だと証明されちゃったら、みんなどうするんだろ。みんな不幸だけど、にもかかわらず、最も安定して持続可能みたいな。 http://twitter.com/todesking/statuses/837617419

todesking

そうならない空気を醸造して、空気読まない人間はフルボッコにすることで人類の幸福が維持される http://twitter.com/todesking/statuses/837618446

tricken

USTで「これからスカイダイブしまーす。器具なしでーす、自殺でーす」と言ってその一部始終を動画で報告する人が出たら、確実にトラウマになるだろう。金持ちしかできなさそうな芸当だが。 [Harlequin's Lost] http://twitter.com/tricken/statuses/838641929

nopiko

寄せ場のなかの警察ってめちゃくちゃ分かりやすいよなあ。いまや生田武志の言うように全国の寄せ場化がすすんでいるのであれば、抵抗(と言っちゃうけど)の契機みたいなものって見えなくなっちゃうよねえ。暴発しても自殺で人を巻き込んでも心の闇で。 http://twitter.com/nopiko/statuses/841551925

medtoolz

「全力を尽くします。一緒に祈って下さい」がファンタジーでなく通用した大昔は、待合室で待つ家族にも、やるべき仕事があって、神様という概念装置を通じて、その行為はきちんとしたフィードバックを受けたから、上手く言ってる部分がきっとあった http://twitter.com/medtoolz/statuses/842942238

medtoolz

病院から神様追い出したのは、間違ってる部分は少なからずあるのかなと思う。 http://twitter.com/medtoolz/statuses/842942500